第78回 電通の株式上場をスクープ、犬も歩けば棒に当たる記者稼業

前回は「記者の夜回り」について紹介したのだが、肝腎な裏話をポカっと忘れていた。

電通の株式上場についてスクープ記事を書いたときのことである。今調べてみたら2001年に上場しているから、記事を出したのは、その2~3年前だろう。

普段は夜回りなどはやらないのだが、スクープ記事については必ずトップに会って確認を取らなければならない。

そういうわけで、当時の電通社長だった成田豊さんの自宅に夜回りをかけた。自宅に入れてもらえるとは初手から思っていなかったので、早めに行って待ち伏せし、成田さんがクルマから降りて、玄関に入るまでの1分間に勝負を賭ける腹である。

成田さんが帰ってきた。クルマのドアが開くか開かないかのうちに、サササッと近づいて社名と名前を名乗る暇ももどかしく、「株式上場が決まったとのことですが?」と訊いた。

成田さんは悠然として、「君なぁ、何か尋ねる前に、まず名刺くらいは出し給えよ」と言って、こちらが名刺を出す前に、自分の名刺をさっと渡してきた。

人間の幅を感じさせるのは、実にこういうところなのである。夜回りを受けて、初対面の記者に名刺を出す社長などは、ほとんどいない。それも、先に向こうから渡してきたのである。

成田さんにお会いしたのは、後にも先にもそれっきりではあったが、間違いなく「人ったらし」だったろう。わずか数分間話しただけで、その人柄はいまだ忘れがたい。

株式上場計画について質したところ、「君ンとこは雑誌だろう? 雑誌がそんな話をムキになって追っかけることはないじゃないか」と言われた。「はい、一丁上がり」である。否定しないのだから、これで書けるなと思った。

取材する側からすれば、「ノーコメント」も否定していないという意味では、「裏を取った」ということになる。

問題は、否定された場合だ。何本かのスクープ記事を振り返ってみると、成田さんなどは大変にやりやすかった方であって、たいていは否定されるのである。

こちらも周辺取材で事実関係をきっちり固めてから夜回りに行くので、否定されたところで書かないということはないのだが、書き方が難しくなるので、できれば無駄な抵抗はやめていただきたい、と何度思ったことか。

名前はあえて伏せるが、ある大手銀行の合併構想をつかんだことがあった。合併交渉入りが決まって、記者会見の日取りも場所も決まっていたのに、なぜか破談になった。

一方の銀行トップには、かなり親しくお付き合いさせていただいていたので、このときは夜回りではなく応接室で、「なんで(合併構想が)流れたんですか?」と水を向けたところ、「そりゃ、なんだい? そんな話は知らないよ」と堂々とウソをついた。

こっちは、知っているのである(笑)。かなりの信頼関係があってこんな調子だから、まったく油断もスキもない。

新聞記者は用があってもなくても毎日毎晩夜回りをかける。という話は前回に書いたが、そうであればこそスクープ記事を狙って書ける。

雑誌記者の場合は、狙って書けるものではなく(書ける記者もいるんだろうけど)、文字通り「犬も歩けば棒に当たる」式である。

電通の株式上場のネタ元は、取引銀行のおえらいさんだった。酒を呑んでいるうち、どういうわけかラグビーの「賭け試合」の話題になった。

銀行と電通のラグビー部で試合をやり、銀行が勝ったら得点差1点につき1億円借りてもらうみたいな中身だったと思う。

電通が勝ったときの条件を今思い出せないが、試合は銀行側が大量得点して確か何十億円かの融資につながったはずだ。って書いてもいいよね? 大リーグ問題の時節柄、ちょっとまずいかなという気もするけど、まぁ時効でしょう(笑)

その話の流れで、「そういえば」と上場計画が飛び出てきたのだから、これぞ「瓢箪からコマ」である。

有力格付け機関による日本債券信用銀行(現・あおぞら銀行)の格付け資料を入手して、巨額の不良債権を丸ごと暴露したときには、銀行界ではちょっとした騒ぎになった。「あんた、これで日債銀は潰れるよ」と何人かに言われた。

このときは、知り合いの新聞記者から電話がかかってきて、「格付け機関(ムーディーズだったかS&Pだったか、今思い出せない。最近は思い出せないことばかりだ)から300万円で買ったって話があるんだけど?」と聞かれた。

そんなカネがあれば、苦労はしない。ずいぶんしつこく「出元」を根掘り葉掘りされたが、格付け機関とも銀行ともまるで関係のない、意外な筋からの出物だったので、新聞記者の推察はかすりもしなかった。

つまり、それで何を言いたいのか。雑誌記者は野良犬のようにふらふら歩くしかないし、そもそもがそういう仕事なのである。

スクープは歩いてこない
だから歩いてゆくんだね~?

つい鼻歌が出たが、水前寺清子の『三百六十五歩のマーチ』には、どことなく週刊誌記者の本質というか悲哀というか励ましめいたものが感じられる。

一日一歩 三日で三歩
三歩進んで二歩さがる~?