第79回 『堕ちたバンカー~國重惇史の告白~』で思い出した「秘書取材」のあれこれ
最初にお断わりしておかなければならないのは、「週刊誌の記者時代に取材先の役員秘書と”深い仲”になったことは神かけてない」という歴史的事実であるーー。
唐突な書き出しで恐縮だが、最近『堕ちたバンカー~國重惇史の告白~』(児玉博著)という本を興味深く読んだ。
國重さんは、旧住友銀行による平和相互銀行の吸収合併、イトマン事件の収拾等に「最強のMOF担」(大蔵省担当)として深く関わり、「将来の頭取候補」とまで言われた人物である(2023年4月に物故)。
ところが、1997年に傍流も傍流の住友キャピタル証券に突然左遷され、銀行界では大きな話題を呼んだ。そのころに一度だけインタビューしたことがある。
旧住銀の天皇と称された磯田一郎会長の秘書に手を出した。というのが知る人ぞ知るの真相だったが、個人的には大したものだなと妙に感心させられた。
なんたって最高権力者の秘書である。関係が露見すれば直ちに冷や飯を食わされるのは自明の理であって、チョッカイを出すだけでも相当な度胸が要る。
さらに、國重さんは離婚・再婚にも踏み切った。役員と秘書の不倫などは珍しくもないが、きちんと落とし前をつける試しはほとんどない。
記者時代は、そういうわけで一度しかお会いしたことはなかったが、出版社を辞めてから共通の知人の仲立ちで何度か呑んだことがある。
週刊誌の不倫報道(磯田さんの秘書=当時の國重夫人とは別のお相手である)によって楽天副会長を辞任し、せっかく再婚までしたのに三行半を突きつけられ、巨額の慰謝料に困っているとこぼしていた。
「悪いけど、今度返すからさ。この店、借りにさせて」
1万円だか2万円だかの勘定が払えなかったこともあり、なるほど大変なんだなぁと思ったことを憶えている。
役員秘書という仕事は、意外に「出会い」がないものだ。チョッカイを出す側とすれば、社内はもちろん、社外であっても、バレたり、うまくいかなかったりするときのリスクは大きい。
結果として、美人で気立てがよくても、なかなか誘いの声はかからないということになる。そんな秘書の立場を可哀想に思うのだろうか。「機会があれば、俺の秘書を食事にでも連れてってくれないかな」と頼まれたことも何度かある。
しかし、そうおっしゃる社長・役員の手がすでについていないとも限らないので、ほいほいと引き受けるわけにもいかない。
誰から電話があった、誰に電話をかけた、誰と会った、誰とメシを食ったという情報は、それだけで貴重なものであり、記者としては喉から手が出るほど欲しいものなのだが、さすがに秘書との付き合いは慎重にならざるを得なかった。
そこで、裏技が炸裂する(笑)。直接の上司ではなく、取材先の知り合いに周旋を頼み、秘書を2~3人連れてきてもらうのだ。
1対1でなければ間違いが起こる気遣いもなし、かなり気軽にカジュアルに社内事情やら役員の素性やらを聞き出すことができる。秘書という立場になければ知り得ない情報は、まさか記事に書くわけにもいかないが、ずいぶんと役に立った。
大物の取材先には、大物の秘書がついていることがままある。すぐに思い出すのが、小泉純一郎秘書の飯島勲さんだ。
郵政民営化に関する特集をまとめるにあたって、取材を依頼してから「3日以内」に小泉さんの時間をもらう必要があった。「忙しいひとだからねえ。3日は無理だと思うよ」と電話口の飯島さんは素っ気ない。
そこで、行きつけの高級料理屋で豪華弁当をあつらえ、昼めしどきに議員会館まで「差し入れ」にかけつけた。
飯島さんは「こりゃどうも。ここまでするのかい」と言いながら、親指(小泉さんのことである)を立てて「今たまたまいるから話していくかい?」と1時間も割いてくれたのである。
実力秘書と付かず離れずの間柄になると、こういう無理がきくようになるから、あだおろそかにはできないのだ。
普段から付き合いが深い社長・会長であっても、会食日程の調整等については、そういうわけで必ず秘書にお伺いを立てた。
社長・会長に直接電話をかけたほうが、話は早いのである。しかし、あくまで秘書を立てる体裁にする。それを秘書のほうでもわかってくれるから、ちょっとした情報をくれたり、もろもろ便宜を図ってもらえるようになる。
どうでもいい蛇足を連ねれば、「深い仲」になっている役員と秘書というのは、不思議なことに見ていてわかる。記者が見ていてわかるくらいだから、社内でちょっと探りを入れると「公然の秘密」になっていることも少なくない。
そろそろ紙数も尽きてきたが、この話の続きを次回にしようかどうか、いささか迷うところだ。書いたら殺されるよなぁ(笑)