第85回 「水曜日の夜と木曜日の朝」は鬼門、思い出したくない編集会議の思い出

ビジネス週刊誌の1週間は、水曜日に始まり水曜日に終わる。毎週同じことを繰り返していくので、実際には「区切りがつく」と言い換えたほうがいいかもしれない。

今、どうなってるか知らないが、水曜日の夕方になるとデスクごとに企画会議をやる。デスクは6~7ほどあって、それぞれに副編集長1人と4~5人ほどの記者がいる。

取材やら来客やらで常に人が出入りしている編集部だが、この時間帯だけはほぼ全員が在席しているわけだ。

各デスクの企画を持ち寄り、19時ごろに編集長、副編集長が集まって最終決定する。次号に掲載するニュース記事はもちろん、看板となる特集記事も向こう1ヶ月(4週間分)ほどはラインナップを固めておく。

翌日の木曜から取材に入り、翌週の月曜から水曜までが「締切」である。印刷工場に回し、雑誌が刷り上がるのは木曜、予約読者の手元に届くのが金曜、書店に並ぶのは月曜の朝。と、まァあらましこんな段取りだ。

今回は、この水曜日夜の編集会議について書くつもりなのだが、どこをどう突っつき回しても嫌なこと、思い出したくもないことしか浮かんでこない。

いっそテーマを変えようかとも考えたのだが、それも業腹なのでこのまま続けることにしよう。

何が嫌いだったかと言って、企画が決まらない(とりわけ特集)、次号の特集のタイトルが決まらない。決まらないと雑誌が出ないので、どうしたって水曜日の夜は「デスマッチ」になってしまう。

19時から始まって(ナンダカンダで19時ちょうどに始まることなんてなかったが)、22時に終わると「今日は早かったな」という感じである。遅くなると、日付けが変わっていることも珍しくなかった。

なかんずく、特集のタイトルには苦労させられた。読者の皆さまにあっては、毎週毎週よくも飽きもせずに同じような特集をやっているなァという実感もおありでしょうが、あれでタイトルにはずいぶん苦心しているのである。

全員一致で決まるわけじゃないが(それだと朝までかかっても決まらない)。ほぼ全員が納得できる線までブラッシュアップしていく。

「てにをは」の使い方ひとつで、タイトルが生きたり死んだりする。雑誌の売り上げも変わってくるから、あだおろそかにはできない。

「いいかげん、こんなもんでいいか」という決め方は絶対にしなかった。そういうわけで、毎週のように会議は踊る(されど、進まず)。

編集長、副編集長が揃うと、先ずは会議室で「夕食」を済ませる。どんなに美味しいもんを出されたって、産みの苦しみが相殺されるわけじゃないのだが、それでも不味いもんを食わされるよりかはマシというものだ。

会議に出てくる夕食は毎週変わる。いくつかのバリエーションがあって、筆者が好きだったのは洋食の「ドン・ピエール」と大阪鮓の「八竹」だった。

ドン・ピエールは当時京橋にあって、プロのサービスマン(商売なので当然「プロ」なのだが、わざわざそう呼びたくなるくらいプロフェッショナルに徹していた)が出前をしてくれる。

美味しいカレー、シチュー等々が入った寸胴、あったかいごはんが湯気を立てているジャー持参でやって来て、会議室で取り分けてくれるのだ。

このころ、他の部署で「ビジネス週刊誌編集部では、会議に寿司職人を呼んで、握らせているらしい」という噂が流れたことがあった。

ドン・ピエールの出前を勘違いしたのか、悪意を交えて話を大きくしたのかわからないが、デマとはこういうふうに伝わるものかと興味深く思ったものだ。

ドン・ピエールのサービスマン(今どうしても名前を思い出せない)は、郷里の長野に帰って「野麦」という蕎麦屋を営んでいらっしゃる。たいそう流行っているらしい。洋食が蕎麦に変わっても、一流は一流なのである。

八竹の大阪鮓も懐かしい。「ちらし」がうまかったなぁ。

八竹の社長とは、知る人ぞ知るシガーバーで出くわしたことがあって、商売の話を聞いたこともある。1000人以上の茶会で「折り詰め」が使われることもあるが、絶対に値引きはしないと豪語していたっけ。

閑話休題。

ドン・ピエールや八竹があるかと思えば、つまらない普通の弁当の仕出しになる週もある。弁当なら「要らない」と断わっていた。

不味いものを食わされるくらいなら、会議が終わった後に気の利いたバーで呑むほうが百万倍もいい。当時、深夜まで開けているバーでうまいものを食わせる店があり、行きつけにしていた。

長らく水曜日の夜と決まっていた編集会議が、時の編集長の判断により木曜日の午前中に変更されたことがある。

締切がどうしても守れない筆者は、通常は水曜日夜に終わっていなければならない入稿が必ず遅れる。したがって、編集会議に出られない週が少なくない。

木曜日の午前中なら全員の顔が揃うという考えだったようだが、これにはハッキリと反対した。「ますます出られなくなると思うので、木曜日は勘弁してください」と。

というのも、編集会議に出られないほど特集記事の入稿に追われている水曜日夜は、頭からプスプスと煙が出るくらい脳みそを使いすぎて、焼き切れる寸前までイッチャッている。

そんな夜は、どんなに遅くなろうと疲れていようと、一杯(では済まないが)やって熱を冷まさないことには家には帰れない。

特集記事の場合、月曜日から水曜日にわたって入稿するので、この3日間はほとんど睡眠時間なしで会社に詰めている。睡魔が襲ってくると、机に突っ伏して気絶するか、会議室の椅子を並べて仮眠するしかない。

肩こりとか腰痛には縁がないけれど、それでも水曜日の夜になると3日分の疲れがたまってきて、背筋が首に向けてキュウッと引っ張られるように激痛が走ったりする。

そんな水曜日の深夜に呑んだら、木曜日の午前中なんか、そもそも起きられないのは自明の理なのである。酒なんか呑むな、まっすぐ帰れ、それで早起きして出てこいと言われたが、できないものはできない。

携帯に電話がかかってくるのも気づかないし、無断で編集会議を欠席したことが何度もあった。

「雨の日と月曜日は、いつもわたしの気分を沈ませる」というカーペンターズの歌があったが、「水曜日の夜と木曜日の朝は、いつもジェットコースターのようにわたしの気分を上げたり下げたりした」ものだ。

もう一度同じことをやれと言われても(言われないけど)、こんりんざいやるつもりはないし、やるつもりがあっても、そもそもできないだろう。

来月には、還暦を迎える。としをとるのは、もうやめるつもりでいる。