第86回 岩國哲人さんをしのぶ会」で思い出した、週刊誌取材の裏ワザ「六次の隔たり」
「六次の隔たり」という仮説がある。誰か1人の知り合いに声をかければ、その知り合いから知り合いを仲介して「6人目」には誰にでもたどりつけるというものだ。
今ウィキペディアを見ていたら、かつて『探偵!ナイトスクープ』では「日本最西端の与那国島で最初に出会った人に友人を紹介してもらい、何人目で明石家さんまにたどりつくか」という実験が行なわれたそうな。結果は「7人」。
タモリの「友達の友達はみな友達だ」は、ビジネス週刊誌のみならずマスコミ業界でも「鉄則の中の鉄則」である。
人脈の結節点となるキーパーソンと仲良くなれば、6人も7人も間に挟むする必要はない。1人か2人にお願いすれば誰にでも会える。
記者時代から「夜討ち朝駆け」が大嫌いだった。夜中や早朝に知らない人の家に押しかけて、オフレコで話を聞く。というのは、どう考えても他人迷惑である。
というのはタテマエで、夜は酒を呑みたいし、呑めば朝は早起きできないというのがホンネだ。
そもそも、夜討ち朝駆けをしなければならないような取材対象は、いろんな事情(その最たるものは「不祥事」)で「話なんかしたくない」。したがって、自宅を襲撃しても、断わられることの方が多いのである。
では、どうするか。
人脈のつてをたどって、楽して会える手段を講じる。夜討ち朝駆けは断わっても、知人の「紹介」は無下にはできない。
「六次の隔たり」について言えば、三菱自動車の岩國穎二副社長(当時)をすぐに思い出す。
三菱自動車は、2000年代初頭に経営不振に陥った。外部から招聘された岩國さんは、再建の成否を左右する最重要人物として注目を集めていた。
一挙手一投足が三菱自動車のレピュテーションに影響するから、うかつにインタビューに応じられない。もちろん夜討ち朝駆けも受けない。
三菱自動車再建には、親会社である三菱重工、東京三菱銀行(現在の三菱UFJ銀行)、三菱商事も巻き込まれていた。ビジネス週刊誌としては何も書かないわけにはいかない。
「困りました」と自動車担当記者に相談されたので、ちょっと考えてみた。
「岩國」というのは珍しい苗字である。もしや、元出雲市長、衆議院議員の「岩國哲人」と何らかの関係があるのではないか。
調べてみたら、ずばり当たりで「兄弟」だった。衆議院議員が兄、三菱自動車が弟である。
岩國哲人さんとの面識はなかったが、そこまで分かれば問題は解決したようなものだ。岩國さんは民主党の重鎮で、民主党には筆者が親しくしている仙谷由人さんがいた。
仙谷さんにお願いして岩國哲人さんを紹介してもらい、お兄さんから弟に話を通してもらったという次第。自動車担当記者から数えると、記者→筆者→仙谷→岩國(兄)→岩國(弟)となる。
誰か1人にお願いしても、たどりつけなかった。という珍しく手数がかかった事例なので、今でも当時の経緯をよく憶えているわけだ。
政財界のつながりというものは意外にスモール・ワールドなので、「誰かに話を聞きたい」だけならそう難しくはない。
ただし、インタビューとして記事掲載するとなるとスカイツリーくらいにハードルが高くなる。あくまでも、「オフレコ」が条件だ。
蛇足を連ねれば、「オフレコにします」と約束したにも関わらず、岩國(弟)は取材に応じなかった。
岩國(兄)から連絡があって、「話すだけは話してみたけど、今はやはり勘弁してほしいと言ってる」という。
実兄のお願いを断わるのは大したものだが、そもそも岩國(兄)が本当に話をしたかどうかが今となっては分からない。弟の立場を慮ってノー・リアクションを決め込んだ可能性もあっただろう。
ところで、何でこんな話をしているのか。
ここまで書いて、ようやく思い出した。最近「故岩國哲人さんをしのぶ会」の新聞記事を目にしたからだ。
岩國さんは政界引退後にシカゴに移住し、昨年10月に客死されたらしい。「しのぶ会」はそういう事情もあって、ずいぶんと遅くなったようだ。
あの時、仙谷さんは目の前で岩國さんに電話をかけ、要件を伝えた上で「じゃあ、記者に直接連絡入れさせるから。携帯の番号教えるけど、問題ないよね?」と言って、筆者もその場で岩國さんにコンタクトした。
よく考えてみると、電話で話しただけでお会いしたことがない。そういう方々も、週刊誌記者を20年以上もやっていれば、星の数ほどいらっしゃる。
年の瀬に、そんなことを思うでもなく思っていた。
今年も一年お世話になりました。読者の皆々様にとって、2025年が実りある一年になりますよう。