第91回 高柳肇さんの訃報に接して思い出した、コンピュータ業界再編の「裏面史」

昨年12月に亡くなった高柳肇さんは、日本IBMの黄金時代に頭角を現わし、ピッカピカの社長候補として知られていた。1941年生まれ、65年日本IBM入社だから、時まさに高度経済成長期である。

アメリカ本社のIBM社長補佐にもなったスーパー・エリートが85年に辞表を出して、日本タンデムコンピューターズ社長に就任した時には、そういうわけで業界内では大きな話題にもなった。

後日、酒を呑みながら(シーバス・リーガルがお気に入りだった)、なぜ日本IBMを辞めたのかと水を向けたら(酒を向けたら、か?)、こんな話をしてくれた。おそらく、これまで記事に書かれたことのないエピソードだと思う。

当時から三菱銀行の基幹システムはIBM製であり、現在の三菱UFJ銀行に至るまで蜜月の仲が続いている。

筆者の記憶が確かなら、畔柳信雄・三菱UFJフィナンシャル・グループ元社長のご子息は日本IBMに入社したはずだ。

東京三菱銀行とUFJ銀行が合併した時には、システム統合の主導権を握るために、日本IBMの営業部隊が畔柳さんの部屋に入り浸りだったともいう。

そんな三菱銀行のシステムが、その昔、富士通にリプレースされそうになった。宿敵・富士通も必死の攻勢をかけたのだろう。

リプレースされれば、富士通にとっては大殊勲、日本IBMにとっては歴史に残る汚点となる。そこで、日本IBMの巻き返しが始まった。と、ここまでは知る人ぞ知る話である。高柳さんの話は、ここからだ。

「クビの皮一枚と言うけど、文字通り皮一枚。ほとんどクビは落ちかかっていた。正直な話、俺はもうダメだと諦めた」

「そんな状況から、北城(北城恪太郎、93年に日本IBM社長)がひとつひとつ手を打って、最後は富士通に決まりかかっていた商談をひっくり返したんだよ。そのプロセスを間近で見ていて、俺は感動すら覚えた」

「ああ、次の社長はこいつで決まりだなと、その時そう思ったわけさ」

だから、日本IBMを辞めたのだとまでは言わなかったが、そう言っているに等しいだろう。

ちなみに、北城は高柳より3歳下であり、ほとんど同世代である。北城が社長になるとすれば、高柳の目はない。

そういうわけで、さっさと見切りをつけたのだが、日本IBMの幹部はアメリカ流で鍛えられるから、どこに転職しても通用する。

高柳さんは、同じ日本IBMの後輩である和泉法夫さんを引っ張り込み、日本タンデムコンピューターズの快進撃が始まった。

余談だが、「タンデムは、高柳じゃない。和泉で保っている」と言われたほどの懐刀である。和泉さんの話も実に面白いのだが、ここではこれ以上脱線している紙幅がないので先に進もう。

高柳さんから聞いて「へえぇ」と思ったのは、これまた知られざるコンピュータ業界再編の裏面史である。ちょっと「わらしべ長者」的な味わいがあるので、いささか長くなるがご紹介しよう。

97年、タンデムはコンパックに買収される。日本に10万円パソコンを投入して「黒船」と呼ばれたコンパックは、パソコン価格破壊の口火を切った。

当時、パソコンでは圧倒的なトップシェアを握っていたNECの関本忠弘社長は強烈な危機感を抱く。社内の反対を振り切って記者会見を開き、「コンパックのパソコンは安いだけで、事実上は使い物にならない」という論陣を張った。

パソコン戦争の話も実に面白いのだが、ここではこれ以上脱線している紙幅がないので先に進まざるを得ない。ひと言だけ付け加えれば、関本さんの野獣的な危機感が正しかったことは、その後の歴史が証明している。

コンパック日本法人の社長には、買収されたタンデムの高柳さんが就いた。それほど、高柳さんの実力は抜きん出ていた。

翌98年、コンパックはDEC(ディジタル・イクイップメント・コーポレーション)も買収する。

名門ではあるが、すでに衰退の一途をたどっていた日本DECには社長のなり手がなかった。高柳さんも何度もオファーされたが、はなから引き受ける気などなく、「誰でもいいから、DECの社長やれよ。うるさくって、しょうがない」とこぼしていた。

コンパックがDECを買収したことによって、結果的にはその日本DECの社長になってしまったわけだ。「こんなことになるとはねえ」と苦笑を浮かべる高柳さんの顔を見て、思わずこちらも笑ってしまったことを憶えている。

その4年後の2002年、今度はヒューレット・パッカード(HP)がコンパックを買収するのだから目まぐるしい。

高柳さんは、日本HP社長になった。親会社は変われど彼のポジションは変わらず、会社はどんどん大きくなった。どうです、わらしべ長者みたいでしょう?

蛇足を連ねれば、そもそもの振り出しであるタンデムを創業したジェームズ・トレイビッグは、HP出身なのである。つまり、「わらしべ長者」であり「先祖返り」でもあるわけで、これまた実に興味深い。

「コンピュータを売るのは、クルマを売るのとは違う。人生をかけなければ、売れるもんじゃない」

高柳さんは、常々こう口にしていた。あの世でも、きっとコンピュータを売りまくるに違いない。

合掌。