第105回 今はなき「ユニバーサル証券」で思い出した、業界再編の紆余曲折と「ならず者」への挽歌
その昔、「ユニバーサル証券」という会社があり、松浦研治さんという社長がいた。当時は大和証券の系列会社だったが、業界再編の紆余曲折を経て現在では「三菱UFJモルガン・スタンレー証券」となっている。
この「紆余曲折」が今回のテーマなのだが、それはひとまず措くとして、松浦さんの思い出話をしてみたい。
初対面の時、名刺を渡したら「おお、懐かしいな」とおっしゃった。聞けば、「昔、きみんとこの会社の社員が自宅の近くに住んでいてな。よく頼まれごとをしていたんだよ」
どんな「頼まれごと」だったのか。
「昔」と言っても、昭和30年代の「大昔」である。「きみんとこの会社」が「株式銘柄レポート」なるものを毎週出していて、そこで紹介された銘柄はほぼ確実に値上がりしたそうな。
銘柄は毎週土曜日の午後に社内で情報解禁となる。まだ土曜日の前場(午前中)にはマーケットが開いている時代だったので、この社員は内部情報を見てから、松浦さんに「この株を買ってくれ」と注文していたらしい。
買い値は土曜日前場の引け値である。週明けの月曜日になればレポートが発売されるので、買った銘柄が値上がりし、早々に売り抜けるという寸法だ。毎週これを繰り返せば、家の1軒や2軒は建っただろう。
内部情報を見られるのは土曜日午後だから、本来、土曜日前場の引け値で買うことはできない(できないようにするために、情報解禁を土曜日午後に設定していたのだ)
だが、証券会社には自己勘定の「在庫」がある。それを松浦さんの一存で「おすそわけ」していたという次第だ。
厳密に言えば「インサイダー取引」には当たらないかもしれないが、褒められた話でないことは確かである。事が明るみに出れば、この社員も松浦さんも無事では済まされなかっただろう。
というアブナイ話を、たとえ時効であってもアケスケに打ち明ける松浦さんに一発で親近感を抱いたものだ。もっとも、昔の証券マンにはこういう豪傑は珍しくなかった。
ユニバーサル証券は大和証券系列だったが、バブル期には証券大手4社それぞれに同じ位置づけの証券会社があった。野村証券が国際証券、日興証券が東京証券、山一証券が太平洋証券である。
そもそもは、ガリバーと呼ばれた野村が国際証券を設立し、自社勢力を分散させたことから始まる。「このまま巨大化すれば、いずれ独占禁止法に引っかかる」と本気で危惧したという伝説があるくらい、80年代の野村は強かった。
若くて使える人材をどしどし国際に送り込んだので、野村本体でもキープヤング(若返り)に拍車がかかった。国際は急速に力をつけ、野村の活性化も進んだ。国際はすぐに業界5位に浮上し、4位の山一に肉薄した。
系列証券設立の必然性があったのは、はっきり言って野村だけだったのだが、大和・日興・山一もこぞって真似をした。
その野村が1998年のロシア危機に巻き込まれ、国際証券を東京三菱銀行(現・三菱UFJ銀行)に売却する(現在の三菱UFJモルガン・スタンレー証券)。
虎視眈々と証券分野への本格進出を目論んでいた東京三菱にしてみれば、労せずして業界5位の準大手が手に入ったのだから文字通りのタナボタだ。
あまり知られていない話だが、ロシア危機で大赤字に陥った野村が「将来の保証」(東京三菱との全面提携)をつけるために、虎の子の国際を譲り渡したとも言われる。
野村=国際が動けば、他の3社も動かざるを得ない。山一が潰れたため、太平洋証券はユニバーサル証券、第一証券、東和証券と合併し、「つばさ証券」となった(第一証券も経営破綻した旧・日本長期信用銀行系列である)。
その「つばさ証券」がUFJ銀行(旧・三和銀行)の傘下となり、UFJが東京三菱の軍門に降ったことから、現在の三菱UFJモルガン・スタンレー証券には国際、ユニバーサル、太平洋の3社が含まれているわけだ(東京証券だけは東海丸万証券と合併し、「東海東京証券」として現在に至る)
これ以上詳しい話をしてもややこしくなるだけなので(ここまででも十二分にややこしいが)、あらましだけを述べよう。三菱UFJモルガン・スタンレー証券を合併の歴史に沿って「因数分解」すると何と20社近いルーツがあるのである。
驚いちゃうよねえ。
再編の結果として、業界地図は原型をとどめないほど大きく塗り替わった。かつては、大手4社→準大手証券→零細・地場証券というピラミッド型の構造で、規模の大小を問わずビジネスモデルは大手4社(すなわち、野村)の模倣でしかなかった。
現在では、野村が業界首位を死守しているものの、かつての大手4社の存在感は大幅に低下し、銀行系、外資系、ネット系が台頭している。変われば変わったものである。
閑話休題。
ユニバーサル証券の松浦社長に話を戻そう。いくら「ご近所」だからといって、インサイダーまがいの取引に手を貸すほどの義理があったのだろうか。
尋ねたところ、「ううううう」と低い唸り声を上げた。「ちょっとな。その家の娘とややこしいことになっててな」と言うから呆れるより先に笑ってしまった。
なんじゃそりゃ(笑)
証券業界のあり方が変わってしまった今となっては、松浦さんのような「ならず者」はもうどこにも見当たらない。
あの時代の「ならず者」たちへの愛着が、たとえ時代遅れと言われても、いまだ沁みついて離れないのである。

