『クララとお日さま』

『クララとお日さま』は、今のところ、今年最大の話題作だろう。

発売直後から、私の友人たちもSNSの上で「発売日に買った」とか「今何ページまで読んだ」とか皆が浮足立って投稿していたが、こんなことはここ数年なかったように思う。

カズオ・イシグロのノーベル賞受賞後第一作、ということはもちろん大きな話題だが、事前に流れた「AIロボットの少女を語り手とした一人称視点の作品」ということが、いやがうえにもファンの期待を高めた。ブッカー賞を受賞した『日の名残り』、代表作である『わたしを離さないで』など、カズオ・イシグロは、これまでも一人称視点での「語り方」を生かした絶妙な小説構造や文体によって、傑作を書いてきた。いわば、一人称視点での「語り」の名手なのである。

これまでの小説では、語っているのは人間だが、今回はAI。いったい何をどんなふうに語るのかーー私も大いに期待してページを開いた。

語り手のAIロボットの名はクララ。クララは店で売られていて、ショーウィンドウから街の様子や人間たちを観察するところから始まる。この店で売られているAIロボットたちは、子どもたちのパートナーとしての役割を担う。友達である同時に、子どもたちを守る存在でもある。クララ、そして他のAIロボットたちの大きな心配事は、何より、自分を購入した家の子どもとずっと仲良くやっていけるかどうか、である。打ち捨てられたり、ひどい扱いを受けるのはとても悲しいことなのである。

実はクララは一世代前の型落ち品である。すでに最新型のAIロボットたちが店に並んでおり、そのせいもあって、なかなか売れない。しかし、ついにジョジーという少女と出会い、ジョジーの家庭に買われていくのだ。

カズオ・イシグロの小説は、語りの中に次々とちいさな「謎」が生まれ、徐々に真相が明らかになっていくところが何より楽しい。それ故ここでは詳しく書かないが、「向上処置」を受けた病弱なジョジーと、ジョジーの幼馴染で、処置は受けなかったが自由に生きる才能豊かなリック、格差社会とそこから逃れた人たちのコミュニティ、公害と太陽の恵みといった対比が絶妙で、見事な仕掛け、深みのある構造、簡単には答えの出ない問題提起など、さすがカズオ・イシグロと唸りたくなる。

400ページ超の作品だがあっという間に読み終わってしまった。「物足りない!」と思ってしまったのは、何より小説世界があまりに秀逸で、それをもっと堪能したかったゆえだろうか。

『クララとお日さま』カズオ・イシグロ 著、土屋政雄訳(早川書房/2500円+税)