第11回 フラっとする世界

知人がめまいを訴えている。
「フラッ」とするらしい。
ときにはグールグルっともするらしい。

これからわかることは、世界のフラット化はグーグルによって、ささえられているということである(ウソです)。

「フラット化する世界」という本があります。全米で300万部超の大ベストセラーとなり、日本でもそれなりに売れたらしいです。
その内容は経済のパラダイムシフト云々・・・というのは取りあえず置いといて、この題名はなんともキャッチーです。

原題は「The World is flat」、つまり「世界は平らだ」という5千年前の人類の会話のような題名なのに、優秀な翻訳者かあるいは編集者が「フラット化する世界」と読み替えたのでしょうね。

そして、この瞬間にこの本の運命は決まりました。

駄洒落好きのオヤジに注目されるという過酷な運命です。

「一杯飲みに行こうか?プラッと。プラッと化する世界だ」
(駄洒落オヤジは強調のために最低2回は繰り返します)

「今朝の地震には驚いたねぇ。グラッと来たね。グラッと化する世界だ」

「あの女優はいいねぇ。ムラッと・・・」(以下省略)

駄洒落オヤジは時として、この何の生産性もない(時には多大な損失すら発生させる)オヤジギャグを「パロディ」と言い張る場合があります。

洗練されたパロディには鋭い風刺や批評精神が潜んでいるモノですが、オヤジギャグにはその毛ほどのすきもありません。

例えば、駄洒落好きのオヤジが万が一、新型インフルエンザに罹ったとします。

まず、「風邪だ、またサボろう」と言って会社を休み、体温が高くなるにつれて「あたまあつこ」とか「熱い・・・カラダが今煮える夫人」とか喚き、家族にあきれられ、まわりに誰もいないのに「吾が輩は寝込んでる」と息も絶え絶えにつぶやき、汗だくでうなされているときも「汗が胴に・・・汗胴鈴の助だ!!」などと叫び、ときには正体不明となり「七つの顔を持つ男 あそう多羅尾伴内」など寝言を言って3日間。。。。ようやく回復して、鏡の中の無精ひげに向かって「Myひげ」などとトドメのオヤジギャグを発するのです。

とにかくめんどくさいのです、駄洒落オヤジは。
職場でも家庭でも敬遠されます。
絶対このようにならないようにお薦めします(って、誰に?)。

本物に上質なパロディは昇華され、不朽の名作となります。
「ドン・キホーテ」(激安の殿堂じゃないです)のような文学に限らず、和歌の本歌取りや狂歌、古川柳にも数々の名作(迷作?)があります。

現代でも筒井康隆の「狂気の沙汰も金次第」の中に出てくる「仏の顔も三度笠」や「親子三人猫いらず」などは名作中の名作といえましょう。(違う本に出てたかもしれません・・・引用するなら、ちゃんと調べろ>自分)

私も、かつて、後世に残る名作を上梓しようと試みたことがあります。
まだ世の中の仕組みもわからない中学3年の秋のことです。
脇毛の怒りです。じゃなくって若気の至りです。

熱血スポーツ根性ロマン私小説という文学史上にあらたなジャンルを築こうと書いたのが、「柔道四畳半」です。
(あきらかに当時のテレビ番組「柔道一直線」(出演:桜木健一、吉沢京子)の影響を受けてます)

「柔道四畳半」のあらすじはざっとこんな感じです。

・・・内向的な高校生の「私」は、いつも不良にからまれ、かつあげされてました。
ある日、いつもようにからまれているところを、若い女性に救われます。
彼女は女三四郎と評判の女性柔術家でした。

強くなりたい「私」は彼女が師範代をしている道場に通いたいのですが、やや引き籠もりのため行けません。で、いろいろな偶然がかさなって(?)、彼女が訪問指導に来てくれることになります。

そして「私」が下宿している四畳半の部屋で、柔道の指導が始まります。

「受け身初段」を信条とする彼女の指導を受け、四畳半でひたすら受け身に励む「私」。
指導を受けながら師範代にほのかな恋心を抱く「私」。

しかし、幸せな時間は長くは続きません。
「私」の四畳半部屋は2階にあったため、受け身の音がうるさいと階下の学生から大家に苦情が入ったのです。
黙って去っていく師範代。
「私」は畳に残る師範代の香りに頬をすり寄せて涙するのでした・・・
<完>(って、「蒲団」のパロディか?)

・・・設定がむちゃくちゃですね。「熱血スポーツ根性ロマン私小説」の要素のうち、根性とロマンが欠けてます。というか熱血とスポーツも欠けてる。

というか、なによりくだらないです。

くだらないといえば、最近のマスコミ・報道もどうなっちゃったんでしょう?
元アイドルの薬物使用関連のニュースがトップニュースになってたり、政権交代と同じレベルで報道されたり、某国営放送ですら、重要ニュース扱いです。

ワイドショーの守備範囲まで報道が踏み込む必要があるのでしょうか?
それとも一般大衆あるいは世論(あまり好きな言葉ではありません)の後押しですか。
もはやテレビの世界に見識のある人はいないのでしょうか?
それとも、すべてパロディなのでしょうか?しかも質の悪い。。。

なんだか、イラッとしてきました。イラッと化する世界だ。

教訓「「フラット化する世界」と「駄洒落」には何の関係性もありませんが、火のないところに煙をたてるのが、マスコミとマーケティングなのです」(って、ホントか?!)

Image081