第32回 文化教室へ行く

起点となったのは、最近、このメルマガで私の文章を読んだ方から、「あなたの書いたものは、長いわりに何を言いたいのかわからないし、面白くない」という有り難いご意見をいただいたことでした。

確かに、それは私も感じておりましたが、はっきり言われるとつらいものがあります(涙)。

実は、同じ事を昔から先輩や友人に言われ続けているのです。

思い起こせば、小学2年生のときに担任の先生に言われたのが最初でしょうか?

それは宿題の読書感想文をジャポニカ学習帳一冊に書きあげて提出したあとに言われたのでした。

「さるかに合戦」の感想文でした。
感想文の論点は5つ。

1.カニはおにぎりも柿も食べない
2.猿が、柿でカニを殺したのは、故意ではなく、過失であった
3.敵討ちは明治6年に禁止令が布告されており、この話が明治6年以降の設定なら、コンプライアンスに反している
4.栗の行為は自爆テロだ
5.臼はまだしも、「牛の糞どん」というキャラクター設定には無理がある

以上の論点を破綻がないように、ときにはユーモアを交えながら、我ながら会心の出来だ、という感触を掴んで、意気揚々と提出をしたのですが。。。

先生からは「あなたの書いたものは、長いわりに何を言いたいのかわからないし、面白くない」という有り難いご意見をいただいたのでした。

(その先生の名前はサユリでした。名字は忘れました。石けんのいい匂いがしました)

それ以来、文章に対するご意見をいただいたあとは、石けんのいい匂いに逃避するようになったのです。(いらない情報ですね)
承前、そんなわけで(?)、先日、某放送局のサイドビジネスと思われる文化教室に体験入学してきました。

『文章教室~心に伝わる文章を書くために』という講座です。

地味そうな講座なので、受講生はあまりいないのではと思いつつ、緊張して教室を覗いてみると30あまりの席はほぼ埋まっているのでした。
みんな文章にトラウマを持っているのですね。同病相憐れむ。
少しホッとして、一番後ろの席に座りました。

教室に入ってきた講師は、意外にも若い女性です(たぶんアラサー、って死語?)。
(その先生の名前はサユリでした。名字は忘れました)

早速、講座が始まりました。
『心に伝わる文章を書くためには、文章の基本を知ることが大切です。文章の基本は、短いこと、わかりやすいこと、ユーモアのセンスが「チラ見え」することです』

『文章には、起承転結が必須です。次の例文を見てください。

京都三条、糸屋の娘
姉は十八、妹十五
諸国大名は弓矢で殺す
糸屋の娘は目で殺す

この短文の構造は、
「京都三条、糸屋の娘」が導入部(起)、
「姉は十八、妹十五」で受けて繋ぐ(承)、
「諸国大名は弓矢で殺す」と飛躍・展開し(転)、
「糸屋の娘は目で殺す」という締め・結論(結)になっています。

若い女性の流し目は、弓矢や石けんの匂いと同じくらいのキラーコンテンツなのですね(笑)。

この起承転結を、簡単に説明すると、話が始まり、それを広げながら繋ぎ、その後、ヤマがあって、オチがあって、イミがある、といういわゆる反ヤオイ構文になっています。

場合によっては係り結びの結び目が蝶々結びになったり、不知火型になる状態も、いい文章の型式として白鵬時代より好まれています。

では、この起承転結のフレームを使って、文章を作ってみましょう!』

ということで、意味がよくわかりませんが、実習が始まりました。

私も作ってみました。

まずは、最近ネットで見たウワサ話を題材に、

起:単純明快でお馴染みの元宰相が、
承:OBの集まるパーティに出席した。
転:昔は「感動した!」
結:今は「菅、どうした?」

(イマイチです。元ネタはパクリですし)

そういえば先月の大相撲は技量審査場所という変則場所でした。

起:イメージ回復のスピードは
承:力士の動きより、スローモーション
転:力士がもち肌を維持するのは
結:相撲ローション(スモーローション)

(なんのこっちゃ。序の口以下です)

6月と言えば、結婚、

起:雨上がりの朝、届いた短い手紙。
承:ポストのそばには赤いコスモス揺れていた。
転:結婚するって、本当ですか?机の写真は笑っているだけ。ほんの小さ
な出来事で別れて半年経ったけれど。
結:やさしい便りを待っていた。待っていた~♪

(完全にパクリですね。作詞は、ダ・カーポの奥様です)

・・・・・・・・

転々として、話は横道にそれますが、6月と言えば、なぜ結婚なのでしょう?

多分、というか間違いなく、ジューンブライド(June Bride・6月の花嫁)の輸入なのでしょうね。(日本人は西洋カブレですから)

Wikipediaによると、June(6月)はローマ神話のジュピターの妻ジュノー(Juno)に由来し、ジュノーが貞淑で結婚生活を守護する神であることから、6月に結婚すると幸せな家庭を築ける。ということになったようです。

でも、ジュノーにしても、ギリシャ神話のヘラー(ゼウスの妻)にしても、貞淑なのですが、嫉妬心が激しく、夫の浮気相手には容赦しないですねぇ。。もちろん夫にも厳しいです。

だから結婚は恐いのです。
中島みゆきも、唄の中で、「結婚と決闘」は同じ場合もあると言ってます。

ラ・ロシュフコー伯爵は、「よい結婚はあるが、楽しい結婚はない」(前も書きましたっけ?)
哲学者ソクラテスは、結婚を勧めつつ「良い妻を娶れば幸せになれるし、悪妻なら哲学者になれる」という、「悪法も法なり」と並ぶ(?)名言を残しています。

他にも結婚に関する格言は数え切れないほどあります。

バーナード・ショーは「結婚を、しばしば宝くじに例えるがそれは誤りだ。宝くじなら当たることもあるのだから」(当たりはないのですか・・・)

チェーホフは「孤独が怖ければ結婚するな」とか、「結婚生活で一番大切なものは忍耐である」とか、「もし人生をやり直すのだったら、私は結婚しないでしょう」とか言っています。(チェーホフさんに一体何があったのでしょう?)

先人は皆苦労したのですね。

私は、と言いますと、恥ずかしい話ですが、今から20年ほど前、ススキノのとあるスナックで、ある女性(そのお店のチイママでした)と電撃的な出会いをしました。

その女性に好意を持ちつつも口べたな私は、なかなか話すことができませんでした。

週一ペースで通い、ただ黙々と呑み、酔っぱらうということを繰り返していたのですが、回数を重ねるうちに、気持ちが相手に通じたのでしょうか、だんだん話が弾むようになり、ついに私の好意も受け入れられました。

そして、こんな相談を受けました。

「将来のことを考えて、独立したいの。ちょうどいい物件が見つかったんだけど、今の貯金だけじゃ・・・・・・」
「よし、わかった!」と私は、なけなしの定期預金を崩して、彼女の口座に振り込みました。
「ありがとう。これから不動産屋さんに行ってくる」と言って、20年。
ず~っと待ってますが、その後、連絡はありません。
(その女性の名前はサユリでした。名字は忘れました。アカサギでしょうか)

結婚の話はさておき、私は文化教室の実習について行けず、文章を書くことに完全に自信を喪失致しました。

私の文章に不十分のところがあり、皆様に大変ご迷惑をお掛けしました。
一定のメドがついた段階で、若い世代に責任を引き継いでいきたい、というのが今回の結論でございます。

『一定のメド』というのは、えぇと、そのぉ・・・ま、なんでしょうか、来月までの宿題ということで・・・。

【街の声:「すぐやめろ!ペテン師!!」「責任は引き継ぐな!自分で取れ!!」ほか多数】

重ねてお詫び申し上げます。人生には大切な三つの袋がありますが、堪忍袋というのは・・・あ、すみません。。。今月もヤマもなく、オチもなく、イミもありません。(この言葉にも特に意味はありません。特定の嗜好の方へのメッセージでもありません。あしからず)

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