第60回 遠くて近きは

9月も終わりに近いある日の朝、ぼんやりと新聞の折り込み広告を見ていた。

なぜかメガネ屋さんの広告ばかり3種類。
秋になるとメガネ屋が儲かるのか?(「風が吹けば桶屋が儲かる」式の業界の秘密があるのかもしれない)

それにしても今時のメガネは安い。
種類を問わず一式20,000円均一だったり、超極薄レンズ付で一式18,900円だったり、激安1本5,000円が3本まとめて9,900円だったりと、昔からメガネが手放せない人間からみると、この安さには目を見張る。(見張ったところで、視力が追いつかないのだが)

10数年前のメガネの相場は、強度の近視の場合、レンズ1枚が2万円。どうしても左右必要になるので、掛ける2で4万円。

フレームなしではメガネの体をなさないので、安めのフレームを選んでも、1万5千円。加工料と技術料が1万円。

計6万5千円。しかも完成までに最短で1週間。

6万5千円もあれば、今ならメガネが3本買える。
激安メガネなら、なんと19本!!
19本あれば、一生メガネには不自由しない(かもしれない)。ま、一度にまとめて19本も買わないけど。
こんなに安いなら、いつでも買えるから、まとめ買いの必要もないし。

とは言え、いつまでも物価が安いとは限らないですね。
アベノミクスのインフレターゲットが2%、消費税が8%、原油高で10%、円安が20%、オリンピックバブルで30%、半沢直樹の視聴率が40%・・・この年末あたりから景気とともに物価も上がりそうです。

となると、やはり安いメガネはいつ買うか?今でしょ!
(って、書いてみたけど、もはや古い感じが・・・)

よし!トイレットペーパーといっしょにメガネも買占めだ!!
(オイルショックか!?)

などと、妄想しながら、メガネ屋さんの広告をぼんやりと見ていた。
(最初に戻る)

実はそろそろメガネを買おうかな、と考えていた。
長年近視生活を営んできたけれど、数年前から老眼が自己主張をし始めて、もはや無視できないところまで来ているのだ。

近眼の人は老眼になりにくい、と世間の人は言うけれど、これは何の根拠もない説です。

この風評により有形無形の被害を受けてきた近眼の人たちは、泣き寝入りはしないと決めて近眼老眼被害者の会を発足、孤立無援の闘いを続けてきた近眼老眼者(近老者)を組織化し始めた。というお話はまた別の機会に。。。

近眼の人の老眼は、メガネをかけた状態で近くが見えにくい。だから読書の時はメガネを外して、本を目に近づけて読むことができるのだ。

普段はメガネを掛けて、読書の時はメガネを外して、なんやかんやで掛けたり外したりして日常生活を送ってきたけど、もう我慢ができなくなってきた。

そこで今まで敬遠してきた遠近両用メガネを買おうかなと、メガネ屋さんの広告をぼんやり見ていた(またまた最初に戻る)。

遠近両用メガネは、近視用のメガネレンズの下の一部に老眼用の度数が入っていて、正面を見ると遠くが見えて、目線を下にずらすことによって、近くのモノも見えるようにしたメガネのことで、慣れないうちは階段を降りるときに目線を下げて離れたところを見てしまい、階段を踏みはずす。そればかりか人の道を踏み外すこともあるらしい。
(人の道云々は何の根拠もない説で、この風評により・・・以下略)

しかも、近視用レンズと老眼用レンズが共存してるとメガネレンズ自体が大きくなりそうな気がする。今は大きいレンズはあまり流行らないから、遠近両用メガネはなんとなく嫌だった。

で、メガネ屋さんの広告をぼんやり見ていたら、「遠近両用コンタクトレンズ無料体験クーポン」なるものが、広告の下の隅についているのを発見!!

「遠近両用コンタクトレンズ」・・・こんな夢のようなコンタクトレンズが存在していたとは。。。知らなかったのは自分だけ?

もしかして世間の裸眼の中高年男女は、実はみんな遠近両用コンタクトの使用者なのか?
自分だけ仲間はずれだったのか?
そんなこと卑屈に考えていてもしょうがない。
このコンタクトを使用することで、メガネ無しで遠くも近くも見えるというのなら、今すぐ手に入れたーい!!

秋晴れの気持ちいい天気に背中を押されて、私は「遠近両用コンタクトレンズ無料体験クーポン」を握りしめ、早速メガネ屋さんに向かった。

正直、コンタクトレンズには抵抗がある。目にゴミが入っただけで痛いのに、コンタクトレンズのような異物を痛みなしに入れることができるのだろうか?
(日本の常識では、目に入れても痛くないのは孫だけ、目から落ちるのはウロコだけだ。)

仮にコンタクトの痛みは我慢するとしても、メガネを外して世間に素顔を晒すのは抵抗があるのだ。

長年、メガネというフィルターで素顔を隠して生活してきたのに、今更こんな素顔を世間の人は受け入れてくれるのか?

懊悩苦悶しながらメガネ屋さんにたどり着くと、意を決して「遠近両用コンタクトレンズ無料体験クーポン」を窓口に差し出した。

「こんにちは」窓口のキレイなお姉さんは、緊張している私に問診票を手渡しながら、「コンタクトははじめて?」と意味ありげに微笑んだ。
「は、はい」
「では、問診票を記入してくださいね。順番にお呼びします」

・・・・

しばらくして、別なお姉さんに呼ばれて検査機器の前のイスに腰掛けた。
お姉さんの指示のまま検査機器に覗き込むと、間近にお姉さんが。

こんなに近くていいのか?・・・ますます緊張は高まるばかりだが、お姉さんはあくまで事務的だ。(当たり前だ)

一通り検査が終わって、お姉さん曰く「乱視が強いですね。ソフトコンタクトでは乱視は矯正できません。それでも遠近両用コンタクトを試してみますか?」

「は、はい」

「では、試しにコンタクトを入れてみましょうか?遠近両用コンタクトは同心円状に度数が違っていて、遠くを見たり、近くを見たりするときの瞳孔の動きで視力を調整する仕組みなので、近視用のコンタクトと外見上の違いはありません」

「は、はい」

「じゃ、こちらへ」と、45度の角度で設置された鏡の前のイスに案内される。

「正面を向いて、目線だけ下にしてください。私が入れます」

「は、はい」(お姉さんが入れてくれるの?)

「瞼の力を抜いて、正面向いたままで、楽にして。あ、目は閉じない」

「は、はい」(そんな難しいことを言われても。指が目に近づいてくると、ふつう目を閉じるでしょ。そういえば、昔のホラー映画で目に・・・)

「はい、右目に入りました」

「え?」(あれ、いつの間に。なんか視界が変わった。痛くないし)

「次は左です。同じように目線を下にして・・・・・・。はい、入りました。
コンタクトの入れやすい目ですね(笑)」

「は、はい」(ほめられたのか?バカにされたのか?それにしても不思議な感じ。メガネがないのに周りが見える。遠くも近くも。まさに未知との遭遇だ。これぞファースト・コンタクト、なんちゃって。それにしても、少し視界がぼやけるのは乱視のせいなんだろうな)

「どうですか?痛くないですか?」

「痛くないです。」

「正しい向きで入れると痛くないはずです。裏表を間違えると痛くなりますので、ご自分で入れるときは注意してくださいね。」

「は、はい」(こんなビニールみたいなフニャフニャしたレンズに表裏があるのか?そういえば、「お・も・て・な・し」とか言ってた人がいたけど、「表がない」ということは「裏がある」ということだよな。裏で何があったのか?

しかし「占いでおもてなし」って言葉もテレビで聞いたことがあるな。裏もないし、表もないのか。コンタクトレンズとは全く関係ないなぁ)

「あのぉ、遠くも近くも少しぼやけて見えるのは乱視の影響ですか?」

「そうですね。見づらいですよね。じゃあ、乱視専用のメガネも作りましょうか?」

「え?」

「コンタクト着用時に乱視用メガネがあれば、よく見えると思いますよ(爆)」

「??」(じぇじぇじぇ。コンタクトにする意味って。。。。)

メガネ屋さんを後にして、外に出ると、いつのまにか冷たい風が吹いていた。

「秋風が吹く」あるいは「秋風が立つ」とは、男女の仲が冷めることの意味もあるが、今の自分は遠近両用コンタクトに冷めてしまった。

やはり、ここは普通に遠近両用メガネがいいのだろうな。
ということで、家に帰って、もう一度メガネ屋さんの広告をぼんやりと見ることにしよう。

201310f

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