第61回 鍋をめぐる随想・瞑想・妄想

だんだん寒くなってきました。
冬は人恋しくて、鍋恋しい季節です。

家族や知人とお鍋を囲んでお酒を酌み交わしながら談笑すると、心も体も温まります。日本人に生まれてよかったと思う瞬間です。

「お鍋」と書きましたが、もちろん鍋料理・鍋物のことです。(けっして男装の女性のことではありません)

鍋に出汁を張って、野菜やお肉、魚介類などの具材を煮ながら食べる料理のことです。と、ざっくり書きましたが、ご存じのように鍋料理は多岐にわたります。

寄せ鍋、すきやき、水炊き、ちり鍋、湯豆腐という一般的なものから、しゃぶしゃぶ、火鍋、ジンギスカン鍋、しょっつる鍋に柳川鍋、かきの土手鍋、はりはり鍋、ブイヤベースにバーニャカウダなどなど。

各地方に独特の鍋料理があって、とても書きつくせません。

たくさんの種類があっても、共通して言えることは、鍋ひとつで料理が出来て、いろいろな具材が食べられて(特に大量の野菜を食べられる)、締めでご飯や麺を食べることができて、美味しくお腹いっぱいになることができて後片付けが簡単という、究極の食なのです。大人数で鍋を囲む楽しさも格別です。

と、いいことばかり書いてきましたが、大人数で鍋を囲むと誰もが直面する問題あります。

それは、鍋をめぐる人間関係です。

鍋の周りでは誰もが、お・も・て・な・しの心を持っているのですが、その心が極端に走ったときに、人間関係に歪みを生み出すのです。

もちろん繰り返しになりますが、鍋の周りに悪い人はいません。いい人ばかりです。でもそのいい人の思いやりがいろいろな形で発露するのです。

人間関係その1

鍋料理を、事業体あるいは社会的組織と捉え、円滑な運営を図るために、鍋の進行を管理する人が登場する。

いわゆる鍋奉行です。

二人以上で鍋を囲むと必ず一人以上、鍋奉行が現れます。
何も考えていないメンバー(町民、遊び人など)が不用意に長ネギを2,3本掴んで、鍋に入れようものなら、

「待て、待て、待てぇ!!ここをどこと心得る。今、長ネギを投入した者、オモテを上げぇ。長ネギ不法投入により遠島を申付ける」と、いきなり、そこはお白砂(しらす)に。

お、鍋奉行がまたうるさいこと言い出したな、と適当にあしらいながら、別な町民が豚の三枚肉を投入しようものなら、

「こら!!待てと言っておるであろう。只今、三枚肉を投入したもの、シチューよくかき混ぜて、打ち首獄門!!」

となんだかわけのわからない大変な事態が発生して、鍋奉行に従わないと、鍋は混乱状態に陥るのです。

その2

鍋奉行が鍋の運営を軌道に乗せ始めるのも束の間、鍋奉行の目を盗んで暗躍するのが、悪代官。

けっして悪い人ではありません。

鍋が沸騰してきて、表面にでてきたアクをこっそりすくうのがアク代官のお仕事なのです。

でも、裏で越後屋から幕府禁制の紀伊の牛ロースや安芸の牡蠣を受け取ったりしている(らしい)。

その3

鍋奉行の仕事を邪魔をせずに、おとなしく鍋ができるのを待っているのが、町(待ち)奉行と町(待ち)娘。

いろいろ好みはあるのですが、口出しをして遠島を申付けられて食べられなくなるより、おとなしくして食べられるほうを選んだ人たち。長い糸こんにゃくには巻かれろという事なかれ主義者。

その4

鍋がほどよい状態になり、鍋奉行からお許しが出ると、お玉とおなべの二人が取り分けてくれます。(「おなべ」は江戸時代の女中の典型的な名前)

最初に食べるのが、鍋将軍(一説には、鍋奉行よりも偉く、鍋の運営に積極的とも言われている)。

そしてみんなが食べ始める。
みんなが食べている間に鍋を管理するのが、鍋仙人(専任)と鍋つ神(かみ)。

その5

鍋のおしまいには麺かご飯を入れて熱々(アツアツ)の〆(しめ)を作るのが篤姫(あつしめ)。。。って、ダジャレか。。。

以上、鍋料理は江戸幕府の統制下にあったという考察です。
(あれ?そんな話だっけ?)

「鍋は美味しいですね」という大前提で書いていますが、実は、私は、こどもの頃は鍋料理が嫌いでした。

昔の家庭料理の鍋は(という一般論ではなくて、「私の家の鍋は」というのが正しいかも)、今のように具材は豊富じゃなくて、ダシもツユも美味しくなくて、ポン酢のようなつけダレもなく、味がいまいちよくわかりませんでした。

怪しい魚の鍋は、鰭や鰓や骨だらけで食べるところがない(アラ汁だったのか?)。

見たことのないキノコや残り物の萎びた野菜、練り物や肉のようなもの(!)が混沌としていて、手を出すのも憚られる。。。

とにかく、こどもにはハードルが高かった(不味かった)。

そして、鍋は不味い、怪しいものという印象を決定づけたのは、テレビアニメ「巨人の星」の闇鍋のシーンでした。

ストーリーは思い出せないけれど、下駄や長靴が入った鍋を暗闇の中でみんなで囲み、箸でつかんだものは下駄でもカエルでも最後まで食べなきゃいけないというルールで、飛雄馬は下駄を食べていた。

それを見て、こども心に鍋には気をつけろ!という警戒心を植え付けてしまったのでした。

それからウン十年経過して、鍋は美味しい食べ物になった・・・でも、心の闇の部分に闇鍋のトラウマが潜んでいて、みんなで鍋料理を囲んでいるときに、鍋奉行の目を盗んで、こっそり持参した謎の食材を鍋に滑り込ませてしまう大人になってしまったのでした(って、秘密の告白?)

誰かが「あれ?これは餅か?・・・う?甘っ!大福か!?」と目を白黒させているのを見て、密かに愉悦に浸ってしまう(もちろん、その場では、「えっ!誰が大福なんか入れたんだよっ」と言いつつ)。

というわけで、私は鍋の仕置人として恐れられている。
(って、結局、ばれてるし)

ま、今は分別ある中年ですから、それほど変なことはしません。

最近やったことと言えば、バナメイエビを芝エビだよと言って鍋に入れたり、鹿児島産黒豚と称して、馬肉とエゾ鹿の肉を入れたり、スプーンですくって入れる肉団子をあえて素手でこねて、手ごね肉団子にしたり、備長炭使用してますと言いながら、プロパンガスで鍋を温めたり(意味ないし)、特製ダシを使用していますといって、本当にヒ・ミ・ツのダシ(ダシ密)を使用したりしたくらいです。

鍋の具材の誤投入問題(実は偽装具材問題?)はまだ公けになっていませんが、すでにその傾向を察知している鍋の専門家(鍋専)によると、食の覇権をめぐる勢力争いが三つ巴となる「三国志」時代の到来だと言われています。

偽装・誤記入・食品、すなわち偽(魏)・誤(呉)・食(蜀)の覇権争いが激化するわけですが、すでに歴史が明らかにしているように、食は偽に敗れ、誤も勢力を衰退させて、偽が覇権を握る・・・。その後、偽が常態化して真(晋)と称するようになる。まさに嘘(偽)から出た実(まこと・真)。。。

そんなわけで、今回も瞑想(迷走)してしまいましたが、
結論としては、冬に鍋料理をみんなで囲むことは経済の活性化に繋がるのです。

鍋ノミクスですから(なんのこっちゃ)。

201311f

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