第98回 北海道のお花見

北海道のお花見は例年ゴールデンウィークの後半、5月の初めです。
桜前線は3月の下旬に九州から北上して5月上旬に北海道に到着します。桜前線が毎年同じ時期に決まったルートで南から北へと進むのは不思議ですね。

と思っていたら、先日NHKのバラエティ番組で、その秘密を解明してくれました。
日本の代表的な桜である「ソメイヨシノ」はほぼすべて同じ木なんだそうです。
日本人好みの薄いピンク色のソメイヨシノは、その原木をもとに接ぎ木で増殖を続け、全国に広まっていったのでした。
同じ遺伝子を持つクローン桜ですから、開花のタイミングは皆同じです。
たぶんある一定の気候環境になると開花するのでしょう。その一定の気候に到達するのが、南から北への春の訪れに重なっているのでしょう。

なんだかふんわりしたことを書いてしまいましたが、要するに5月初めには札幌にも桜前線が到達していたのでした。
(近くで咲いている桜がソメイヨシノなのかエゾヤマザクラなのかわかりませんが・・・梅かもしれないし)

日本では花といえば、桜。
古くから、和歌や俳句に詠まれ、文学作品にも取り上げられてきました。「花は桜木・・・」なんて言葉もあります。(「人は武士」とか「男は花道」と続きます)
どうやら桜は日本人にとって特別な花のようです。(硬貨やお札にも描かれるくらい特別です)
なぜ特別なのか?というお話をしていくには、紙面が足りませんので(?)、ここでは取り上げませんが、桜が特別であるがゆえに日本人が取る行動についてだけ取り上げます。

その行動は「お花見」。
お花見といえば、桜です。タンポポの花や薔薇の花でお花見をすることはありません(あるかもしれませんが)。
そして、宴会です。チューリップの花や百合の花で宴会をすることはありません(あるかもしれませんが)。
桜の木の下に陣取って、お酒やお弁当をいただく。時には歌い舞い踊る。
なんと日本らしい風景なりけり。(思わず詠嘆の助動詞「けり」を使ってしまいました)

さて、北海道のお花見です。
北海道でお花見といえば、ジンギスカン(最近は焼肉のほうが多いようですが)。
テレビの情報番組(秘密のなんとかショー的な番組)でよく取り上げられるので、すでに広く知られているのかもしれませんが、北海道では、桜の木の下で、火を熾し、大勢でジンギスカン鍋や焼肉の網を囲むのがお花見なのです。
桜がいくら上品に花を開こうと、その下では煙をもうもうとあげながら、ジンギスカンを頬張りながら酒を飲み、嬌声をあげる。
これが北海道のお花見です。

実は、桜の花がなくてもかまいません。
昨日も近所のなんの木も生えていない芝生でお花見と称して焼肉をしている若者の団体を見ました。
北海道では雪が溶けて春が来た喜びを、「内地」(本州以南の土地)の「お花見」という風習に伝統のジンギスカンと融合させることによって表出させているのです。

最近は焼肉あるいはバーベキュー的な網焼き文化に押され気味ではあるものの、お花見にはジンギスカンがよく似合う(と太宰治は言っていませんが)。

一口にジンギスカンと言っても、その種類は千差万別で、地域や時代によって変化を続けています。
肉はもちろん羊ですが、その品種は綿羊(?)だったり、サーフォーク種だったり、いろいろあるのです(けっして知らないわけではないですが、煩雑になるので書きません。ホントです!)。
肉の種類としては以前はマトン(大人の羊)ばかりでしたが、今は柔らかいラム(子羊)がメインです。
さらに肉の形態として、生のものが生ラム(なまらむ。「非常に」という意味の方言「なまら」とは関係ありません)、丸く成形して冷凍し薄くスライスしたロール肉(クラシックと呼ばれることも)があります。

さらにさらに、肉をタレに漬け込んだ味付きジンギスカンとタレなしジンギスカン(ただの肉ですが)に別れ、その調理法(焼き方)もいくつもあるのです。
直焼き派、蒸し焼き派、煮込み派、しゃぶしゃぶ派などなど、調理法派閥は常に暗闘を繰り広げています。
その争いに足を踏み入れるのは憚られますので、それぞれの派閥の流儀だけを軽くご紹介いたします。
直焼き派は、よく熱せられたジンギスカン鍋に羊脂を塗り溶かし、そこに直接羊肉(主に生ラム)を乗せて焼きます。味付き肉の場合はそのまま食べますが、味のついていない肉の場合は、別途タレをつけます。
そのタレは、自家製の場合もありますが、市販のものを使うケースが多く、市販タレは2大派閥に分かれます。
「ベル食品」と「ソラチ」の食品メーカーです。(ここでも常に争いがあるので、どちらに優位性があるかなどという下手なことは言えません)

蒸し焼き派は、熱いジンギスカン鍋をまずモヤシで覆います。モヤシで埋め尽くされた上に羊肉(主に冷凍ロール肉)を乗せて、間接的に焼きます。
モヤシの上の羊肉に火が通るころにはモヤシがほどよく蒸されて、肉とモヤシを混ぜながら、タレにつけて頬張ります。
そのタレには2大派閥があって・・・とすでに上に書きました。争いは収まりません。

実はタレは醤油ベースが主力なのですが(2大派閥タレも醤油)、塩ベースや味噌ベースという新興勢力もあり、さらに戦いは複雑となっております。

このようにジンギスカンの奥は深く、まだまだ底は見えず、争いの火種も尽きないのですが、紙面が尽きてきたのと、お花見という長閑(のどか)な話題が物騒な方向にずれてきて修正不能となってきたので、この辺でまとめに入ります。

なぜ、ジンギスカンには争いがつきものなのか?
それは元の始祖となったチンギスハンが戦いのさなか、空腹を覚え、近くにいた羊を捕まえて、自分がかぶっていた兜を鍋にして、焼いて食べたのがジンギスカンの始まりだったため、争いと切り離せないものとなったのです。

さらに、なぜ、そのジンギスカンが北海道に伝わってきたかというと、チンギスハンは実は源義経の仮の姿だからなのです。
兄頼朝に追われた義経は、奥州から蝦夷に逃れ、さらに大陸に渡り、チンギスハンを名乗り、鎌倉幕府よりも大きな土地を手に入れて兄頼朝を見返そうとしたのでした。
ところが、空腹の時にたべたジンギスカンがあまりに美味しく、昔、鞍馬山の麓で兄頼朝と食べた猪鍋のことを思い出し、兄を恨むのをやめることにしました。
その仲直りのメッセージとして、ジンギスカンを鎌倉へ伝えようとしたのですが、なんらかの手違いで蝦夷までしか伝わらなかったのです。

というのは、もちろん想像ですが、源義経がチンギスハンなのは、子供の頃から知っていました。

生家の近所に「義経」という屋号のジンギスカン屋さんがあって、日本史の秘密を公然とバラシていたのでした(なんのこっちゃ)。