第129回 どうする血圧

「134、84ですね。」
「えっ、高い・・・」
「そうですね。いつもよりちょっと高いですね。」
クリッとした優しい眼の看護師さんは、微笑みながら私を見た(ような気がした。マスクの下の表情は正確にはわからないのだ)。

今年も健康診断の季節がやってきた。
昨年とほぼ同じ工程をたどって検査は進んでいくのだが、意外や、今年は序盤でつまずいた。。。

日頃を不摂生で過ごしているのに、健康診断では「いいスコア」を残しているというのが、ちょっとした自慢だった。
血圧にしても高い数値を出したことはない。
昨年は122、72だった。
その前の年は116、74だった。

「もう一度、やってみましょうか。ゆっくり深呼吸をしてくださいね。」
クリッとした優しい眼の看護師さんに促されて深呼吸をするのだが、
同時に『どうして血圧がいつもより高かったのだろう?』と頭はフル回転で原因探しを始めた。

何か『いけないこと』があっただろうか?

前夜は20時までに食事を済ませた(実際は、20時10分に「ごちそうさま」とご先祖さまに手をあわせたけれど、10分くらいは誤差である)。
『飲酒は控えるように』と注意書きにあったので、指示通りにいつものビールの大瓶を「控えめ」の中瓶に変更している。

今朝は5時半に起床して、健康診断の最終の準備をした。
その後、家を出る8時まで、新聞やテレビで空腹をごまかした(途中、耐えきれずに「たけのこの里」に手が伸びかけたが、理性が働いて「きのこの山」でしのいだ)。

健康診断の受付は9時30分開始だったので、余裕を持って検査センターのあるビルを目指した。
しかし、一年ぶりだったので、目的のビルを間違った。
あわてて周りを見回すと正しいビルは斜向かいにあった。
軽快な足取りで道路を横切り、ビルのエントランスを駆け抜けて、出発寸前のエレベーターに乗り込んだ。
息を切らせて乗ったエレベーターは検査センターの階に停まらない箱だった。
目的階より2階上の階に降りて、考えた。
『下りのエレベーターで1階まで降りて、正しいのに乗り直すのが正解なのか』
ふと右の方に目をやると階段のマークが見えた。
健脚自慢の私は迷うことなく階段を選んだ。
この階段を降りる速さこそが、私の健康の証なのだ!(無駄な見栄を張ってしまった)

受付にギリギリ間に合って(ホントは少し遅れた)、検査着に着替えて健康診断が始まった。

最初は血液検査の採血だ。
「採血で気分が悪くなったことはありませんか?」
切れ長の涼しい目をした看護師さんが、微笑みながら私を見た(ような気がした。マスクの下の表情は正確にはわからないのだ)。
「はい、大丈夫です」

江戸時代の殿様の枕のような腕置き(?)に左手を伸ばすと、看護師さんはゴムひもで腕を縛って血管を探した。
「チクッと、しますよ」
チクッとしたが、私もオトナだ。顔色は変えない。
むしろ余裕の態度を醸し出しながら、看護師さんにいつも気になっていたことを聞いてみた。
「た、大量に血をぬ、抜かれてるような気が・・・するのですが、どんだけ?」(よ、余裕。。)
「きょうは3本で8ccですョ」
切れ長の涼しい目をした看護師さんは微笑みながら答えてくれた。
(ハッシッシ? こんな歌詞が和田ア○子の歌にあったような気がする)

次に「軽量級三種検査」(と、私が勝手に命名している)。
すなわち、身長体重検査、聴覚検査、視力検査の三種目だ。

身長と体重の計量は、検査機によって自動的に行われる。
毎年、身長を計るバーが頭に降りる瞬間、ホンのわずか背伸びをするのだ。
(非常に高度なテクニックを要求されるため、成功する確率は低い。でも、ミッションがインポッシブルであればあるほど人は燃えるのだ・・・誰だって、少しでも背が高いって思われたいじゃないですか。って、無駄な虚しい努力である)。

聴覚検査は、ヘッドホンから聞こえるわずかな音に反応して手元のボタンを押す競技だ。いや、間違った、検査だ。
高齢になるにつれ、高い周波数の音が聞こえなくなるらしい。
こんな検査で高齢者と判定されてなるものか、という意味のない反骨精神が気持ちに火をつけた。
『・・・mmmm・・・』(検査機の音・・・)
来たな!よく聞こえないけど(!?)、手元のボタンを押す。
『・・・vv・・・』(検査機の音)
ボタンを押す。また押す。押すっ!連打だっ!!!!
「はい、いいですよ。」
くっきり二重の目をした看護師さんが、困惑気味に私に言った。
「次は視力検査です。」

視力検査も機械とのタイマン勝負だ。いや、間違った。機械での検査だ。
覗き込んだ機械の奥に見えるランドルト環(アルファベットの C みたいなヤツ)の切れている箇所を手元の十字に動くバーで指し示すのだ。
正解するたびにランドルト環は小さくなっていく。
より小さなランドルト環の切れている所が判断できなくなったら、ゲームオーバーだ(?)。
私は数十年にわたり、人並み外れた近視と乱視を保ってきた。
眼鏡をはずすと鏡の前の自分すら判別できないほどで、鏡の中の自分を見知らぬ他人だと思って腰を抜かしたことがある(嘘です)。
さらにコロナ禍の影響で、度数が合わなくなっているのに、眼鏡を新調できない状況なのだ。

でも、このタイマン勝負(?)には負けるわけにはいかない。
目を閉じて、心眼を研ぎ澄ます。
「考えるな、感じろ」と私の師匠も言っていた。
とにかく、感じたままに十字のバーを動かし続けた。
ランドルト環は C から点になり、機械の彼方に消えていった・・・。

「はい、左右ともに1.2です」
くっきり二重の目をした看護師さんが、困惑気味に私に言った。
『やった!師匠、やりましたー』
検査本来の目的を見失った私は興奮状態の極に達していた。

「はい、深呼吸はいいですか?」
クリッとした優しい眼の看護師さんの声で我に返った。

視力検査の次がこの血圧検査だったのだ。
血圧の高い原因を見つけられないまま(ほんとか?)、2回目の測定が始まった。

右腕に巻かれた血圧測定バンドに空気が充填されて腕を圧迫する。
『ピッ、ピッ、ピッ・・・・・・・・・・・・・シューッ(空気が抜ける音)』

「137、87ですね。さっきより高くなっちゃいましたね。でも、上が140、下が90を超えてないので大丈夫ですよ」
クリッとした優しい眼の看護師さんは、微笑みながら私を慰めてくれた(ような気がした。マスクをしていようがいまいが、人の気持ちは誰にもわからないのだ)。

その後の検査の記憶は杳として、ない。

どうする血圧。
健康診断から一週間たった今、大雪山国立公園・層雲峡「銀河の滝」の前で誓う。

「納豆のタレは半分、即席ラーメンの汁も半分」(なんのこっちゃ)