第131回 「小さい秋」を探してみた
秋が深まってきましたね。
というか、暦のうえでは11月8日が「立冬」ですから、もう秋も終わりなんですね。
今年の夏があまりに暑くて長すぎたせいで、秋の居場所がなかったみたいです(もはや地球沸騰化なのでしょう)。
そのせいなのか、秋のお馴染みのフレーズ(「実りの秋」、「スポーツの秋」、「芸術の秋」、「読書の秋」)もあまり聞きませんでした。
そして、唯一盛り上がった(あるいは盛り上がりを規制された)晩秋の「ハロウィン」(中年のおじさんには馴染みのない行事)が終わった途端、街はクリスマスにシフトチェンジされてしまいました。
さらに先日、年末恒例の「新語・流行語大賞」のノミネートワード30語(件)も発表されました。
流行り廃りは世の常で、これらの「流行語」が来年も生き残っているかは知る由もなく(そもそもノミネートされたワードの大半は初めて見るものだったりするのですが)、冬の風物詩の一つとして消費されていくのだろうなと感慨に耽るのでした。
もう冬なんですね。
って、冒頭とまったく違うことを書いてしまいました。
こんなちゃらんぽらんなことじゃいけないですね。(「ちゃらんぽらん」は来年の流行語の予定)。
四季のバランスが崩れて、秋はどこかへ行ってしまったのでしょうか・・・ということで、あらためて「秋」を探してみました。
1.実りの秋
秋の味覚といえばサンマですね(と書きましたが、人それぞれです)。
そのサンマは、猛暑のせいなのか、年々漁獲量が減っているようです。
あまりにも少なくて、今年8月下旬の根室の初セリで1キロ13万円(1匹あたり約1万7千円)の値がついたそうです。
札幌の初セリでは1キロ23万円、1匹あたり約2万8千円!!(コレが資本主義か)
こんな高級な初サンマを誰が食することができたのでしょうか。
詩人佐藤春夫も「秋風よ、情(こころ)あらば伝えてよ」とサンマを食べながら(家出した妻を思って)泣いてる場合ではありません。
今やサンマを食べられなくて泣く時代なのです。
サンマに憧れることしかできないのです(大谷翔平選手に怒られそうです)。
そして、夏の猛暑は海だけでなく、山の実りにも影響を与え、どんぐり不足が「アーバンベア」という新語を作ったみたいです。
2.スポーツの秋
個人的に4年ぶりのラグビーワールドカップに熱くなりました。
9月9日の開幕戦から10月29日の決勝戦まで、ほぼ全試合(ビデオを駆使しながら)観戦しました。
9月のフランスは真夏のようでしたが、10月29日の決勝戦の気温は14℃まで下がっていました。
晩秋の気候にもかかわらず、試合は熱く盛り上がり、南アフリカがワールドカップ連覇を達成する4回目のアレを決めたのでした。
(なんか、つい優勝のことを「アレ」って書いてしまいました。おーん)
ラグビーのルールはけっこう複雑で、どこで何の反則をしたのかわかりづらかったりするのですが、今はドローンなどの最新技術を活用したTMO(ビデオ判定ですね)が明らかにしてくれます。
そして、そのジャッジを筋骨逞しい大きな選手達が意外にも(?)素直に受け入れるのです。
イエローカードの判定(シンビン)で10分間の退場を余儀なくされて、うな垂れる大きな選手の姿は子どものようです。
特にスクラムを組むフォワードの選手は「押しの子」と呼ばれているとか(いないとか)。
現代の将棋も、ある意味、スポーツ化してきました。
従来からプロ棋士が知力と体力を競い合うという側面を持っていましたが、今や誰もが観戦する競技に変わってきました(もっぱら観戦する人を「観る将」なんて言うらしいです)。
これはテレビやインターネットの将棋の対局中継に「AI」による形勢判断が導入されたことが大きいでしょう。
棋力(将棋の腕前?)のない一般人でも、プロが指している難しい局面でどちらが「良い」のかAIがゲージで示してくれるようになったからです。
自分の力でわかったつもりになってしまい、プロのレベルに追いついた気持ちになっちゃうんですね(「勘違い将」)。
そして、もしかして自分はプロ棋士になれたかもしれない、あの時プロになっておけばよかったのにとくよくよするんですね(「貧乏将」)。
でも、プロ棋士になったとして、やっていけただろうかといろいろ考えるのは「心配将」(もちろん「観る将」はプロ棋士にはなれないんですけどね)。
藤井聡太七冠が永瀬拓矢王座に挑んだ王座戦は見応えがありました。
第3局、第4局ともに終盤に永瀬王座が優勢となり(AIは永瀬王座が90%以上優勢と判定)、藤井七冠に意地を見せるのかと思いきや、たった一手で形勢逆転。
AIのゲージは大きく振れて、藤井七冠の敗勢から一気に99%優勢へ。
(観る将の我々はAIのゲージの振れとともに首振りダンスを強いられるのでした)
そして、羽生永世七冠もなしえなかった前人未踏の藤井八冠が誕生したのでした(羽生七冠の時代は、「叡王」という棋戦はまだありませんでしたが・・・)。
3.芸術の秋
四季といえば(?!)、10月の末に「クレイジー・フォー・ユー」というミュージカルを観てきました。
日頃、テレビやパソコンのモニタしか見ていない生活をしているせいか、生の舞台は迫力があって新鮮でした。
タップダンスに踊りに歌に、というショーを間近で観るのは本当に久しぶりで、芸術の秋を満喫しました(これぞ「観るショー」です)。
でも、途中休憩はあったものの3時間も座席から動けないというのも久しぶりで、さすがに疲れました。
観劇のあとで、日本経済を回すために(!)、一杯引っかけていこうかと思っていたのですが、真っ直ぐ帰宅することにしました(これを「帰るか現象」と呼ぶのですね)。
4.読書の秋
以前に比べて探し出すのが難しくなったと感じるのが、「読書の秋」です。
電車の中にはスマホを持つ人ばかりで、書籍を開いている人は見つけられません。
たいていの人はスマホでゲームをやったり、X(SNS)をやっていたりしています。
スマホ画面でコミックを読んでいる人もいますが、それを「読書」と認めるほど世間は甘くない(?)のです。
街の書店は年々消滅していき、読書は危急存亡の秋(とき)を迎えているのです。
読書を守るには、本を買って読むしかありません。学校や地域の図書館で借りている場合ではありません。
身銭を切って買った本だけが血肉になるのです(個人の感想です)。
もっと言うなら、読むあてがなくても買うのです。
買って積み上げるのです。
積んで埋もれるのです。。。
でも、安心してください、読んでますよ。となったときに初めて「読書の秋」は新しい学校のリーダーズに昇格するのです(なんのこっちゃ)。
こうして今年もグダグダに年末へと雪崩れ込んでいくのですが、来年こそは新しいことに挑戦しようと誓うのでした(とは言え、今年もまだまだ2ヶ月残っている・・・)。
※探していた「小さな秋」の代わりに「新語・流行語」っぽい言葉が見つかったとしても、単なる偶然です。