第3回 手作りパンの店、いよいよオープン!

毎日一人でトントン工事をやっていると、思わぬ効果がありました。

お店は出店したのが不安になるくらい人通りのない住宅街でしたが、近所の人が工事の様子を覗きにくるようになったのです。

暑い日には麦茶やスイカを差し入れてくれたり、世間話をして仲良くなりました。

途中、フランスには無いお盆休み!などが入り、材料が入手できなかったり電気工事が止まったりタイムロスもありましたが、予定の2ヶ月で完工しました。

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内装を作った時にこだわったのは、キレイに作り過ぎないということ。
私はピカピカに新しいものや流行ってるものよりも、古くて温かみのあるものに惹かれます。

ちょっと古い感じを出すために、角材をそのまま使わずにカンナで不規則に角を面取りしたり、節がある木をあえて選んだりしました。

壁紙は使わず、時間が経っても美しい珪藻土を塗りました。
珪藻土だけはDIY音痴の奥さんが手伝い、ものすごい塗り跡が残りましたがその下手さも味になるのです。

最後に自分の作ったパンを並べたら、イメージ通りのフランスの片田舎にあるパン屋さんの完成です。

そして、1996年9月、解体から始まり、一から作り上げた”手作りパンとケーキの店「ペペルル」”は開店しました。

外壁はモルタルを塗ってレンガを貼り、ドアも手作り。
ドアの取っ手は拾ってきた流木でアレンジしました。

私の祖父であるルシアン(通称ルル)はパン職人でした。ぺぺはフランス語でおじいちゃんという意味なので、訳すと「ルルおじいちゃん」です。

子供の頃から頑固な職人、ルルおじいちゃんのことを尊敬していたので、お店を出す時の名前はペペルルと決めていました。

ルルおじいちゃんは生涯一職人。
自分の店を持つことをずっと夢見てきましたが、かなわないまま引退したのです。

5年前に97歳で亡くなる直前まで病気ひとつしたことがなく、自宅で一人暮らしをするくらい、とても元気な人でした。
若い時には、トゥールトドフランスに出場するほどの自転車乗りでもありました。

パン職人人生を全うするには強靭な体力が必要です。おじいちゃんは強い肉体とパンへの愛情を持った真の職人でした。

孫が遠い日本で自分の名前のお店を出したことを、それはそれは喜んでいました。

さて、いよいよオープン当日。
いつもの3倍の量のパンを仕込みます。作業は、前日の23時からスタートしました。

通常、パン屋のオープン日は、業者さんや元同僚など、大勢で手伝いに来るのが慣習です。

しかし、人数が多いと狭い厨房で思い通りに動けないし、何より、納得のいくパンをお客さんに提供したい!という理由から、仕込みは孤軍奮闘。

・・・でも、なぜか生地の調子がいつもと違う!
焦って配合を間違えたか? 大丈夫。まだ時間はある。

やり直す。また変な生地が出来る・・・。
よーく見るとミキサーのカギ手の部分から油が出ているではないですか!
そう、中古で購入したミキサーが最悪のタイミングで故障したのです。

頭の中はパニック状態。分刻みの製造スケジュールはどんどん遅れていきます。

奥さんが店に到着して、事情を話しオープンを延期できないか?と頼んでみることに。すると、

「オープンはチラシで告知している。最初からお客さんとの約束を破ることはできないから、作れるパンだけでも作って店を開けよう」

と叱咤激励されます。

食パン生地やミルクパン生地は何とかできたものの、強いミキシングを必要とするフランスパン生地は全て失敗で使えず、ペペルルのデビューは、フランス人の店なのにフランスパンがないという残念な結果に。

やはり自分で内装工事をしたので、開店前の準備がタイト過ぎて、ミキサーやオーブンのテストが充分ではありませんでした。
大工さんとパン屋さんを両立させるのは、並大抵のことではなかったという訳です。

このオープン当日の失敗は、今でも夢に出てくることがあります(笑)

それでも予想を大きく上回る数のお客さんが来店し、用意したパンはほんの2時間ほどで売り切れました。

開店前にたった一回だけテストベーキングをした時、近所の方が匂いにつられてやって来たので、パンを試食してもらいました。

「フランス人の美味しいパン屋が近所にオープンする!」

その方はとても喜んでくれて、近所に噂を広めてくれたことが、チラシよりずっと宣伝効果があったようです。

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お店の経営は長距離レース、スタートがイマイチでも地道に走り続ければきっといいことがあるでしょう。

次回からは、自宅のDIYについてお話したいと思います。

 

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