前向きに未来を語ったほうが楽しいに決まっているし、気分もあがるものだ。そんなときに「うまくいかないかも」とか「きっとダメだろう」などと言われたら、不愉快になるし、そんな人間が自分のチームにいてほしくない、と思うかもしれない。世に出回る自己啓発書の多くも、成功を思い描けばうまくいくといった論調が多い。

そんななか、森博嗣は『悲観する力』で、全編に渡って悲観の重要性を主張する。

ただし、森博嗣の言うところの「悲観」は、一般的な使い方はとは少し違う。彼の言う「悲観」とは、因果関係において、AならばBとは限らない、と考えることだ。動物の多くは単純な因果関係を理解し、それを生命を維持する活動に生かしている。「この時間帯にこの場所に来れば餌にありつける」といった具合に。これを著者は楽観といい、一方の悲観とは、「そのような単純な因果関係を疑う」ということ。人間はその悲観する力を駆使して、AならばBであることも多いが、そうとは限らない、と考え、複雑な因果関係を理解し、結果、複雑な社会を構築することができた、というわけだ。

例えば「人は気合を入れればミスをしない」という思考は楽観であり、「人はミスをするものだ。だからそれをふまえてどういう安全策を取るのか」というのが、悲観である。こう考えると、現在のさまざまなシステムや工学的な制御は、ほとんどが悲観を前提に作られていることがわかるだろう。「もしここに不具合が生じたら……」「もし事故が起きたら……」そういった悲観的な想定なしに、現在の社会システムは存在しえない。そして、そういった悲観が生み出した最大の成果は、なんといってもコンピュータだろう。人はミスをするもの、と悲観し、だからミスをしないものを作ろうとする。そういった「悲観」こそがコンピュータやAIを生み、またそれらが欠かせない現代と未来の社会を作り出している、と著者は指摘する。

しかし、実際のところ、現代の日本社会では、集団のなかで「もし事故が起きたら……」と言ったっとたん、「縁起でもない!」と言われるかもしれない。あるいは上司に「必ずしもそうではないのではないか」と指摘すれば、「よくも俺を否定したな!」と憎まれるかもしれない。日本の多くの集団は「『楽観』という空気で結束しようとしている」と著者は言う。「楽観的」とは論理が通じない、という意味にもなるだろう。

「アドバイスや応援のつもりで話しても、『本当にそうなの?』と疑問を投げかけるだけで、否定されたと受け取る人は多いようだ。これ自体が、空気の支配下にある日本人の文化かもしれない」

という著者の文章に思わず首肯してしまう。

こう考えていくと端的に言って、悲観するとは、「あれこれ考えること」とも言えるだろう。逆に楽観とは「考えずに済ます」ということだ。私も長く出版業界にいたが、近年、出版され、売れる本を見ると、考えたくない人、単純な因果関係を鵜呑みにしてしまう人、ただ答えをすぐに知りたいだけ人が増えているようにも思える。そういった「楽観的な人」はそれこそすぐにコンピュータに取って代わられてしまうだろう。

さて、著者はていねいに「悲観の手法」として、「悲観する」具体的な手順も記してくれている。それは以下のようなものだ。

 

一、AならばBといった決まりごとが絶対でない、と疑う。

二、こうだといい切るような発言に対して、例外を探す。

三、見込める効果を小さめに評価し、それでも全体が成立するか検討する。

四、多数意見を鵜呑みにしない。

五、都合の悪い事態ほど優先して考える。

六、できるだけ多数の視点に立って考える。

七、自分の説明が相手に理解されないことを考慮しておく。

八、周囲からの効果を期待しない。

 

「これらは、抽象化すれば、「疑う」と「余裕を見る」の二点になる」と著者はまとめる。この手順を眺めると、私にはまさにこれまで出会ってきた「有能な人」の思考と行動に非常に近いように思える。結局このような思考と行動の様式を持った人は信頼もされるし、時間的余裕も金銭的な余裕も手に入れることができるのではないだろうか。また私自身の経験でもあるのだが、七と八の考えを自分のものにすると、心の平安が得られることは間違いない。つまり「悲観すること」によって、冷静で、信頼され、時間もお金も心の平安も手に入れられるーーまさに森博嗣がそうであるように。

とはいえ、いつも「ダメかもしれない」、「うまくいかないかもしれない」とばかり思っていたら楽しくない、と思う人もいるだろう。実は本書はそんな気持ちに対する解も用意している。

それは悲観は未来に対してだけしろ、ということだ。過去を悲観しても、過去が変えられない以上、これからの人生にとって、なんの効果もない。逆に楽観しても害悪はほぼないだろう。

例えば、今までの自分の生き方や判断をばっちり肯定しつつ、未来に対しては、さまざまなうまくいかないことを想定して備える。そしてその備えが、余暇やお金や信頼や心の平安を生む。これは、どう考えても、本当に幸せな人生の有り様なのではないだろうか。

逆説的だが、「悲観すると幸せになります」というわけだ。ぜひ本書を読み、そんな「悲観する力=幸せになる力」について考えてみてほしい。

 

『悲観する力』 森博嗣著 幻冬舎新書/864円