生命保険会社ライフネット生命の創業者で、立命館アジア太平洋大学(APU)学長の出口治明さんが昨年著した『哲学と宗教全史』。450ページ超の大著でありながら、特にビジネスマンによく売れ、昨年、大きな話題になった本だ。

実は年末に出口さんにお会いしたこともあり、そのときに、この本について私が誤解していたことがあったりもしたので、改めて本書を紹介してみたいと思う。

この本は出口さんが「大学時代に読んで腹落ちした哲学や宗教の歴史を記憶をたどりながらまとめたもの」で、「枝葉を切り捨ててできるだけシンプルにわかるやすくしたもの」だという。大学時代の記憶だけでこれだけのものを書いてしまうのがすごい。まさに宗教や哲学が「腹落ち」して以来、何十年もかけて、出口さんのなかで血肉化しているからだろう。だからこそ、出口さんは、「自分の言葉」で語ることができ、それがわかりやすさ、シンプルさ、確信のある言い回しを生み、読者の心にどんどん入ってくるのだ。

出口さんはなぜ、本書を書いたのか。それは、「編集者に哲学の本を書いてほしい」と頼まれたから。「なんだぁ、頼まれただけかぁ」と思うかもしれないが、そのあとがすごい。出口さんは、それに対して、哲学と主教はグラデーションであるからまとめて書く、しかも、「木を見て森を見ず」は嫌だから、人類史に生まれた宗教や哲学を丸ごと書く、と決めたという。本書には、「世界を丸ごと理解しようとチャレンジした哲学者」「人々を丸ごと救おうとした宗教家」という文章が登場する。

自然科学においても、社会科学においても、現代は専門性が非常に高まっている。本書の「はじめに」には、「現代の学問は、微に入り細を穿ち、あまりにもタコツボ化している」という一文があるが、そんな時代だからこそ、世界を丸ごと理解をしようとした哲学者と、人々を丸ごと救おうとした宗教家を、出口さんは「丸ごと」書こうと思ったのではないか。「専門家」が「丸ごと」書こうとすると、それこそ、些末な部分に対して、別の「専門家」から、重箱の隅をつつくような批判が来る。その点、深い知性を持つ教養人たる出口さんは、まさに、「丸ごと」書くことができる数少ない適任者なのだ。その彼が、自分のなかに「腹落ち」し、今なおしっかり残っているものを使って、自在に書くからこそ、本書は価値があるのだ。

本書で特徴的なのは、宗教や哲学が、それが生まれた時代の事象とわかりやすく結び付けられていることだ。哲学の歴史を追った入門書などでも、特に現代の哲学に関してはこのようなことはあまりなされていないように思うが、この同時代性の言及が、深遠な現代思想を理解しやすくしているように思う。

20世紀のの哲学者に関して、出口さんは、誰を取り上げるか悩んだそうだ。きりがないので、最初に5人しか取り上げないと決め、その5人を誰にするか考えていったという。結果取り上げたのは、ソシュール、フッサール、ヴィトゲンシュタイン、サルトル、レヴィ=ストロースだ。

哲学好きの人なら、バートランド・ラッセルは? ドゥルーズは? ベルクソンは? フーコーは?

などと思うかもしれない。実際、出版後、出口さんと会った人は、この話題を話す人も多いという。実は、私もこの人選を読んだとき、サルトルじゃなく、フーコーじゃないのかなぁと思ったものだ。しかし、当該章を読むと、なぜ、サルトルかがよく分かる。まさに時代性、歴史への視点をもって見れば、サルトルはやはり絶対外せない、のである。

実は、私は本書について大きく誤解していることがあった。それは、この本は、「知の巨人」たる出口さんが、出口さんならでは解釈を持って、地球上に生まれた宗教や哲学を語っている、というものだと思っていた。

しかし、出口さんに聞いてみると、それはとんでもない間違いで、それらの哲学について、世の中にすでに出ている学説や考え方のなかから、もっとも「腹落ち」するものを選び出して書いている、というのだ。いわば、出口さんは、不純物を取り除き、本質だけを通すフィルターのような存在なのだ。そのフィルターを構成するのは「事実、数字、ロジック」。常々出口さんがその重要性を語っているものだ。

出口さんというフィルターを通すことで、哲学や宗教の本質が目の前にピュアな形で現れ、それが平易な言葉で語られることで、読者は「人間」について丸ごと理解しようと試みることができる。これこそがこの本の何よりの素晴らしさだと思う。

 

『哲学と宗教全史』出口治明(ダイヤモンド社/2400円+税)