『晴れ、時々くらげを呼ぶ 』

「来い! くらげ! 降ってこい!」

学校の屋上で小崎優子(ゆこ)は叫ぶ。入学したばかりの高校1年生。「不思議ちゃん」としてクラスでちょっと浮いている。屋上の入り口に腰掛け、宮沢賢治の『春と修羅』を読みながら、小崎が叫ぶ声を聞くとはなしに聞いているのは高校2年の越前亨。「小崎は頭がおかしいのかもしれない」と思いつつ、「暇だから」という理由で、小崎の雨乞いならぬ「くらげ乞い」に付き合っている。

そんな場面がから始まる『晴れ、時々くらげを呼ぶ』は、第14回小説現代長編新人賞を受賞した作品。「空からくらげが降る」というモチーフが魅惑的な、本を愛する若者たちをめぐる青春小説だ。

越前と小崎は図書委員会に所属し、放課後の図書当番でペアを組んでいる。当番が終わったあと、小崎は屋上でくらげを呼び、越前は本を読むのだ。

越前が読むのは、宮沢賢治、夏目漱石、井伏鱒二、太宰治などの日本近代文学の名作で、彼が小学3年生時に死んだ父が残した本棚にあった本たちだ。とはいえ、彼は直接父の本棚からそれらを取り出して読むのではない。父の本棚には手を付けず、書名だけ見て学校の図書室で借りる。

その理由は父に対する恨みである。小学生の彼に対し、病床の痩せこけた父は「迷惑かけてごめんな」と言い、その言葉が呪詛のようにつきまとっているのだ。売れない作家で、母と自分に「迷惑をかけた」父への恨みから、父の本棚には手を付けない一方、父のことを知りたくて、父が読んだ本たちを改めて図書室で借りている。本嫌いなのに本好き、という複雑な青年である。

一方の小崎は、まさに現代の「本が大好きな女子」といった感じで、好きなのは、辻村深月、宮下奈都、、恩田陸、小川洋子、伊坂幸太郎など。彼女の学校の読書週間で、おすすめ本としてPOPを書いたのは、いしいしんじの『プラネタリウムのふたご』である。

こんなふうに、本書にはたくさんの本が出て来る。とはいえ、特定の本へのオマージュではなく、本を愛し、次から次と読む、いわば本好きの人たちの文化そのものに捧げられている小説といっていいかもしれない。
「小説はいいよ。真っ白な紙にインクで文字を写しただけなのに、人の心を動かす。魔法みたいなものだ。生み出される意味のあるものだよ」
「本っていいよね。ずっと手元に置いておきたい。ふっと読み返したくなるから」
本好きの読者なら、そんな作中の高校生たちの会話に思わず嬉しくなるはずだ。

繰り返しになるが「空からくらげが降る」というのは、実に魅惑的なモチーフだ。とはいえ、読み始めると、物語の展開がいささか平板であり、登場人物のキャラクターも類型的に感じる。まだ一作目だから仕方ないか、と上から目線で思いながら読んでいくと、100ページを少し過ぎたあたりで、小説の空気感が一気に変わる。それまで語られてきた断片やエピソードが次第に収束し、構造を持った奥行きのある物語が立ち現れる。越前に呪詛のようにつきまとっていた「迷惑をかける」という言葉が、重層的に絡み合い、小説のコアとなる。実に見事である。

思えば、平板と感じた前半部、越前は他者と深く関わることを避ける青年であった。最初私が平板と感じた前半の印象も、視点人物である越前の心象を反映したものであり、後半の、青春小説にふさわしい活き活きとした世界を作るために意図されたものだったのだ。

類型的と思った登場人物のキャラクターも、本好きたちが小中高と読んできたような児童小説やYA(ヤングアダルト)小説の登場人物たちのキャラクターそのもののようでもある。つまり、「本好きな中高生たちに愛されたキャラクター」を踏襲するようなキャラを持つ中高生が、本への愛を語る、という二重構造になっており、小説世界をより深く広いものにしているのである。

著者は新人で、かつ大学生だというが、決して侮ってはいけない。執筆歴は11年にも及ぶのだ。

さて、はたして、くらげは降るのか。格別に美しい結末に、心が震える。

『晴れ、時々くらげを呼ぶ』鯨井あめ著(講談社/1300円)