『昭和16年夏の敗戦』

広島、長崎の原爆の日、終戦記念日と、この時期は先の戦争のことを考える機会が多い。特に今年はコロナ禍のなか、より深く、非常時における政治や行政に考えをめぐらすことが多かったように思う。

そんな中、1983年に出たノンフィクション『昭和16年夏の敗戦』が新装版となって書店に平積みされている。広告も展開されたため、多くの人に読まれたようだ。売る側の出版社としても、コロナ禍の夏だからこそ、敢えて大きく宣伝をしたのだろう。

本書は太平洋戦争をめぐるノンフィクションである。

日米が開戦する昭和16年12月8日の4ヵ月前、昭和16年8月、ある機関が対米戦争は必ず負けるとの結論を出した。その組織は内閣総力戦研究所という。’16年4月に、35歳以下の大蔵省などのエリート官僚や陸海軍の期待の若手、日銀、日本製鐵、日本郵船などの大企業、マスメディアなどから広く人材が集められて生まれた組織で、それぞれが総理大臣をはじめとする各大臣、日銀総裁などの役を担った模擬内閣を作って、さまざまなデータを駆使して議論を重ねたのだ。

議論のテーマは「アメリカと戦争したらどうなるのか」である。

平均年齢33歳の若きエリートたちが出した結論は、「緒戦は優勢ながら、徐々に米国との産業力、物量の差が顕在化し、やがてソ連が参戦して、開戦から三〜四年で日本が敗れる」というもの(右記は巻末に収められた2010年の著者と石破茂との対談からの引用)。まさに開戦前の昭和一六年の夏に敗戦を見事に予見しているのだ。戦争において日本が頼みの綱としたインドネシアの石油についても、「石油を運ぶ商船隊が、ほどなく米軍の潜水艦の攻撃を受けるようになり、補給路は絶たれる」(同対談から引用)とした。戦争における日本の生命線が絶たれることも開戦前に的中させているのだ。

資料を集め、データを駆使し、俊英たちが議論を重ねて導き出したこの結論に対し、東條英機の答えは「戦争はやってみなければわからない」というもの。「ガクっ」となってしまう。

東條の言葉の背後には、すでに戦争はやることに決まっていた、今更変えられない、という「空気」があり、また軍への予算配分など、内側しか見ない組織の論理、個として責任を取らない官吏の論理がある。

そもそも、「総力戦研究所」自体がどのような立ち位置で組織されたのか曖昧であり、政府に対して影響を持ちえなかったという問題もある。新型コロナウイルス感染症対策の専門家会議や分科会など、コロナ禍の今でも顕在化している問題であろう。逆に言えば、総力戦研究所も「その程度の組織」だからこそ、思い切って対米戦争必敗の結論を出せたのかもしれない。

ともあれ、読みどころはいくつもある。資料を集め、データを分析し、模擬内閣という手法で議論を重ねることでここまで精緻な結論を出せるのか、という驚きがあり、それでもなお戦争に突き進んだ「空気」と、それを推進した、東條英機という人物の描写も実に興味深い。

執筆当時36歳だった著者の切れ味の鋭さにも感心する。その後政治の世界に進出し、いろいろあったが、やはり猪瀬直樹の本質は取材者であり、ライターなのだろう。

約20年ぶりの読み直したが、コロナ禍の今だからこそ、響くところが数多くある。ぜひ今だからこそ読んでもらいたい一冊だ。

 

『昭和16年夏の敗戦』猪瀬直樹著(中公文庫/720円+税)