著者の金井真紀さんは、『世界はフムフムで満ちている』、『パリの素敵なおじさん』など、イラストとやわらかな文章で、世の中のちょっとおもしろくてすごい人たちを描いてきた、人物ノンフィクションの名手だ。そんな彼女が、新作『マル農のひと』で取り上げたのは、斬新な農法を日本と世界に広める「農の伝道師」道法正徳さんである。

道法さんの「驚異の農法」の基本は、作物の枝を縛ること。縛ればぐんぐん元気に大きく育ち、果実は甘くなる。肥料は必要なく、害虫や病気にやられにくいので農薬も少なくできる、というのだ。

そんないいことずくめの方法が本当にあるの?、とちょっと訝りつつ本を開くと、ほどなく道法さんのセミナーのワンシーンが登場する。

 

「枝を縛ったら、甘いミカンがたくさんできるんじゃ」

会場から質問が飛ぶ。

「くだものも野菜も、縛るのは同じなんですか?」

道法さんは大きくうなづき、もっともらしく語った。

「犬でも猫でも、ひっくり返しておっぱいを触るとキャインキャインって喜ぶでしょう。動物はみんな同じ、ね。それと一緒で、果樹も野菜も元気になるのは同じ仕組みなんです」

ぎゃはは。なんだそりゃ。わたしはのけぞりながら、なにやら捨て置けないものを感じた。

確かに「なんだそりゃ」と言いたくなる。しかし、このセリフを読んで私も道法さんを一気に好きになってしまった。おそらく著者も金井さんも、その農法以上に、道法さんのキャラクターに魅了されたのだと思う。

さて、本書を読み進めていくと、まったく別の意味で「なんだそりゃ」といいたくなる場面が次々に出てくる。破天荒なキャラクターの道法さんは、もともと農協の技術指導員だったのだが、この農協という組織の硬直性に対して、思わずなんだそりゃ、と言いたくなるのだ。

実は、この本、そんな農協と道法さんの戦いを描くことで、魅惑的な人物を描いたノンフィクションというだけでなく、ある種の組織論にもなっている。

さて、農協に勤めていた道法さんは、糖度12度以上をキープしているみかん畑を調査し、どの畑にも共通して、土壌に石ころが多く混ざっていることを発見する。

そこで試しにミカン畑に石ころをドカンと入れ、その理由を探ろうとすると、先輩から「待った」がかかる。農協では畑の石を取り除くことを指導していたためだ。そしてついには「先輩を愚弄した」ため、左遷されてしまう。

なんだそりゃ。

道法さんは剪定の際、果樹の立ち枝を残す。立ち枝というのは、木から垂直に勢いよく伸びる枝のことだ。道法さん曰く、そのほうが結実時に良い結果が出るというのだ。

ただし、通常の果樹栽培では勢いよく垂直に伸びる立ち枝は切り、横に伸びる枝を残す。つまりまったく逆のやり方である。

立ち枝を残したほうが良い結果が出ることに気がついた道法さんは、自分が担当する地域の農家に「いままでの剪定のやり方はまちがっていました」と謝り、立ち枝を残す剪定を指導した。

しかし、それが上層部に知れると、本部のやり方に背き「間違った技術指導をした」として、また、左遷の話が持ち上がる。しかし道法さんが担当した地域を調べてみると、「毎年いいミカンが取れるようになった」と多くの農家が言う。じゃあ、それで左遷が撤回されたか、というとそうではない。「間違った技術指導をした」という「理由」のほうが撤回され、「組織を乱した」という理由に変更されて、総務部広報課への左遷が実行されたのだ。

なんだそりゃ。

ほかにも日本の組織の「なんだそりゃ」がたくさん出てきて、脱力するとともに虚しくもなる。

しかし、道法さんは反骨の人である。ただ高邁な信念に従ってストイックに突き進む、といった感じともまた違う。左遷後、実家のミカン畑で週末だけ農業にかかわるようになった道法さんは、週末だけの限られた時間でいかに手抜きしていいミカンを作るかを試行錯誤し、「楽して儲かる農業」を目指して、自らの農法に磨きをかけていくのである。

実に小気味いいのは、道法さんが自身の農法を確立していく過程で、人の言うことを聞かない「ダメなやつ」がキーマンになっていることだ。

道法さんはかつて、あるミカン園に指導に行って、3本の木を農協のやり方に従って剪定をして見せた。残りは自分でやるように、と言い残したが、その農家は結構「ダメなやつ」で、剪定をさぼり、残りの木はそのまま放置した。すると秋に、剪定をしなかった木の方に最高級のミカンが成り、道法さんが剪定した木には2級品のミカンが成ったのだ。これが道法さんが、従来の剪定法に疑いを持つきっかけだ。

「枝を縛る」理論を確立する以前のこと、すでに苗木をふわっと軽く縛ると良い結果が出ることに気づいていた道法さんは、農家にそう指導していた。しかし吉田さんという人は、なぜか苗木の枝をぎゅうぎゅうに縛り付け、いくら言っても直してくれず、さらに面倒くさがって苗木に肥料もやらない。

ところが、吉田さんのぎゅうぎゅう縛り&無肥料で育った苗木はぐんぐん成長して、地域の農協苗木品評会で第1位、さらには広島果実連合会会長賞を受賞してしまったのだ。

これが、無肥料で枝を縛るのを基本とする「道法スタイル」の農法ができるきっかけだった。

なんと痛快なエピソードだろうか。人の言うことを聞かず、自分のやりたいようにやる人、というのは本当に貴重なのだ。それを否定してしまう人も多いが、道法さんはそうではなく、ただフラットに結果を見ることができた。

さらに、弘前大学教授(当時)の菊池卓郎さんが書いた、植物ホルモンと剪定の関係に関する理論を知り、自分の農法が間違っていないことを確信する。

経験から得られた知見に論理が加われば、最強だ。道法さんはどんどん結果を出し、今に至るのである。

さて後半は道法さんの農法を実践する人たちを取材し、その生き方を描いていく。金井さんは、道法さんが幹で、そのスタイルを実践する人たちは枝や葉、と表現をしているが、彼ら一人ひとりの思いや悩み、葛藤や試行錯誤を描いたからこそ、この本は枝葉を広げた1本の美しい木のように美しい樹形を見せてくれるのだと思う。

『マル農のひと』(金井真紀・文と絵 道法正徳ほか・取材協力/左右社1700円+税)