『恋するサル 類人猿の社会で愛情について考えた』

今回ご紹介するのは、まだ未発売の本。12月1日発売予定です。実は私自身が構成で関わった本なのです。手前味噌ですが、著者である黒鳥英俊さんの語るエピソードがあまり面白かったので、ぜひ紹介させてください。

著者の黒鳥さんは、’78年に東京都の職員となり、恩賜上野動物園や多摩動物公園で主に大型類人猿の飼育を担当してきました。実は黒鳥さんが現場にいた70年代から90年代というのは、動物園が劇的に変わった時期なのです。

例えば黒鳥さんは、動物園飼育でほぼ最初の大卒者で、入った頃は、職人気質の荒っぽい男たちばかりの職場だったそう。やってはいけないことは、飼育している動物を落とす(死亡させてしまう)ことと脱走させてしまうこと。そのための技術や職人的なこだわりはすごかったものの、その後主流になる、動物たちが動物園のなかでいかに幸せに暮らせる環境を作るか(環境エンリッチメント)とか、自然環境と似た状況で育て、展示しよう(生態展示・行動展示)といった意識はあまりなかったそう。

まだ日本はワシントン条約を批准しておらず、動物商から希少動物を買い、見世物のように展示することが許された時代です。上野動物園の観客たちもゴリラやチンパンジーの展示舎にばんばん餌を投げ込み(アメ横で買ったマグロが投げ込まれたことも)、朝から閉園時間までひっきりなしに「動物に餌を与えないで下さい」というアナウンスが流れていた時代、芸を仕込まれたチンパンジーが自転車で園内を走ったり、衣装を来たオランウータンの結婚式が神社で行われたり、今では考えられないことが行われていました。

そんななか、黒鳥さんは類人猿たちが動物園のなかで幸せに暮らせるように試行錯誤していきます。群れで飼育するため飼育舎を改良したり、より自然に近い環境で暮らせるように、飼育舎と雑木林をつなぐスカイウォークを作ったり……。それらの取組が実に面白いのです。きっと動物園への見方ががらりと変わると思います。

とはいえ、それらはいわば本書の「基礎構造」のようなもので、その基礎の上で、黒鳥さんが担当した類人猿たちがどんなふうに振る舞ったか、こそが本書の最大のテーマ。

ゴリラもオランウータンもチンパンジーも決して人の思惑通りにならず、だからこそ、黒鳥さんは大きな学びを得ていくのです。試行錯誤し続けると同時に、いかに誠意を持って類人猿に向き合っていくか、そこには人と人との関係性への大きなヒントがあります。また、ゴリラ同士、オランウータン同士の関係性についての黒鳥さんの視点も示唆に富んでいます。
黒鳥さんは、類人猿のことを、「あの人」とか「あの方」と言います。われわれホモ・サピエンスと同様に彼らもヒトである、という考え方で、それは何十年も現場で類人猿と接してきた黒鳥さんの実感であると同時に、学術的にも類人猿と人間の遺伝的な距離は極めて近く、ゴリラとチンパンジーはヒト科ヒト亜科、オランウータンはヒト科オランウータン亜科に分類されるのが一般的になっています。

つまり彼らもヒトである、ということ。本書のタイトルからもわかるように、ゴリラやチンパンジー、オランウータンたちの恋愛や親子の愛情などのまつわるエピソードが本書の中心になっており、いずれも抜群の面白さです。「なるほど、公平でマメじゃないとゴリラのオスはモテないのか」とか「チンパンジーのオスは、メス同士の喧嘩の仲裁をし続けなきゃいけないのかぁ。しかも仲裁に失敗すると、徒党を組んだメスの群れに追っかけ回されるとは……」とか、なんだか身につまされたりもします。そして上野動物園の群れを支えたゴリラのブルブル、多摩動物公園で飼育員たちを助け続けたオランウータンのジプシー、お母さんに捨てられたチンパンジーの赤ちゃんのジンと、ジンを受け入れた養母のサザエのエピソードなどを読むにつけ、われわれ人間のふるまいを考えさせられ、生きる勇気をもらうはずです。

『恋するサル 類人猿の社会で愛情について考えた』(CCCメディアハウス/1650円)