『センス・オブ・何だあ?ー感じて育つー』

『センス・オブ・何だあ?』ーーレイチェル・カーソンの名著『センス・オブ・ワンダー』をもじった、ちょっとふざけたような書名。著者自身も、書名について「はい、駄洒落です」と明言しているほどだ。ただ、著者は「が、ただの駄洒落ではありません」と続けて書く。著者は4歳の時、目の手術で光を失い、以降、目を通して世界をみることなく、生きてきた。そして、視覚以外の感覚を通じて世界を把握するとき、ただ感じるだけでなく、触れたものや聞こえた音に対して「何だろう?」と思うことを大切にしてきたというのだ。カーソンは『センス・オブ・ワンダー』において、「知ることは感じることの半分も重要ではない」と語っているが、著者はそれに加えて、感じることに「何だあ?」という意識をくっつけると、もっと楽しいよ、と言っている。それを著者らしいやわらかなユーモアのセンスを持って表現したのが、このタイトルなのだ。

著者は、自らの状態を「シーンレス」(風景がない状態)と名づけている。著者の眼前には確かに風景がない。しかし著者は鳥の声を200種以上聞き覚え、それを手がかりに自然観察をしてきたなかで、「頭の中に一種の風景のようなイメージ」が浮かんでくるようになったという。
「シーンレス」である著者が、感覚を通じて「シーンフル」(風景に満たされる)となる。本書は、児童文学者でもある著者が、そんな体験を綴った最新のエッセイだ。

例えば裸足。ビーチに行けば、熱い砂がどんどん湿ってひんやりと固まり、やがて波が砂に描いた模様を感じ取ることができる。そして雨。音を感じられぬほどの「小ぬか雨」が10分以上続くと、道が濡れて車のタイヤがシャーっと歌い出し、街の音が変わると言う。桜の花の匂いは淡く気付きにくいが、葉が出てくると桜餅を包む桜葉のような香りが満ちてきて、花が散り、晩春がやって来たことがわかる。秋になり、木々の葉が色づくと、乾いた甘い香りがするという。まだ色づき切っていない葉は青い匂いが残っているので、嗅ぎ分けることができるそうだ。日常生活の中での音の感覚もおもしろい。キッチンで水をコップの注ぐときの音は、「タッ・チャルルルルルル・リリリリリロロ・ヒュッ」 お湯を注ぐと「ホッ・ロロロロルルルレレレレレリリリ・フッ」と、音の違いがあるそうだ。

キリがないのでここでやめるが、本書はそんな音や匂い、触覚を通じた風景に満ち溢れている。目に頼ることで意識することがなくなってしまった感覚がよみがえり、音の風景や匂いの風景の豊穣さに改めて気がつく。そしてそんな感覚的風景に満ちたこの世界に、驚き、わくわくしてしまう。まさに「センス・オブ・ワンダー(何だあ?)」が喚起される一冊である。

『センス・オブ・何だあ?ー感じて育つー』 三宮麻由子著 福音館書店