第56回 「領収書」を出しそびれて、美女をひとり殺してしまった話

その昔(1980~90年代)は、「アゴアシ」付きの海外出張が少なくなかった。アゴは食事で、アシは往復の交通費。記者の負担は一銭もかからない取材旅行である。しかも、編集部からは出張手当も出るから、一粒で二度美味しい。

スポンサーとなる企業・組織は、一切合切の費用を負担する。その見返りとして、記事を書いてもらうという仕組みだ。実態は「広告」でも「記事」として掲載されるのが、スポンサーにとってのうまみである。

必ず書かなければならないという性質のものでもないのだが(と得手勝手に考えていた)、慣例として「アゴアシ」が付いている以上は何らかの記事にはする。こういう記事を「領収書」と呼んでいた。

編集部の大先輩から、こんな思い出話を聞いたことがある。大昔のこと、どこかの小国に招かれた(名前は忘れた、というか聞いても知らない国だった)。その取材ノートを電車の網棚(そういえば最近は見かけませんね)に忘れてしまったそうな。

真っ青になったのも束の間。「どうせ誰も行ったことなんかないだろう」と、この大先輩は「記憶」を頼りにして記事を1本でっちあげた。ついでに「想像」も加味して、ふんだんにフィクションをぶちこんだ。

今でいうところの「フェイクニュース」であり、それをやっちゃおしまいだろう。と思いながら聞いていたが、そこまでして出さなければならないのが「領収書」なのである。という前提をご理解の上で、先を読み進めていただきたい。

今でも忘れられないのは、「スイス産業視察ツアー」である。スイス航空などの主要企業がスポンサーとなって、新聞・雑誌・テレビなど主要メディアの記者が20人くらい招待された。

往復はスイス航空のビジネスクラス、滞在先も高級ホテル。現地ではスイス航空、スイス銀行など一流企業トップとのインタビュー予定がワンサカ入っている。

マスコミにはほとんど登場することがなかったスウォッチグループの総帥、ニコラス・G・ハイエック氏(故人)とのミーティングはとりわけ印象深いものがあった。オフレコだったので記事にすることができなかったのが今でも残念だ。

インタビューやミーティングの合間には、美味しい食事、名所観光が待っている。ユングフラウ鉄道でアルプスの景色も堪能した。

終点のユングフラウヨッホ駅は海抜3454m地点にある。富士山とほぼ変わらない高地でワインを呑み、酔って雪合戦に興じて、下りの電車で人事不省に陥ったのも楽しい思い出だ。一時的な高山病だったのだろう。

1週間の日程を終えて同行の記者は帰国の途についたが、筆者の旅はまだ終わっていなかった。予め編集長に申告し、「野村証券のヨーロッパ戦略」を書くという名目で出張期間をさらに1週間追加したのである。すでにチューリッヒ、ベルリン、パリ、ロンドンのトップにはインタビューを申し込んであった。

チューリッヒから鉄道でベルリンへ。乗り換えのミュンヘンでは6時間の待ち時間があったので、名物のビールをたらふくやって、遊園地で遊び呆けた。ちょうど「ベルリンの壁」が崩壊した直後だったので、現地の興奮がビリビリ伝わってきた。

パリでは、ルーブルやオルセーなど美術館巡りに明け暮れた。ルーブルなどは、1日あっても時間は足りない。ノートルダム大聖堂、凱旋門などなど名所にも事欠かないので、自由時間はすべて観光に費やした。もっとも、取材は野村1社、1時間で終わったので、というか終わらせたので、ほとんどが「自由時間」なのであるが。

パリからロンドンまでは飛行機を使い、ロンドンでは予て付き合いのあった野村幹部と旧交を温め、ディナーをご馳走になった。

パリだけでなく、ベルリンもロンドンも「アポ」は野村1社、1時間だった(ロンドンだけは会食だったので、3時間くらいかかったが)。あとは仕事とは全く関係なく、その街をひたすらさまよい歩いた。

スイス航空にお願いして、本来乗るはずの「チューリッヒ~成田便」を「ロンドン~成田便」に振り替えてもらったので、帰りもロハのビジネスクラス。まさしく、「出張」という名の「大名旅行」である。

例によってマクラが長くなったが、ここからがこのお話の核心だ。

都合2週間に及ぶ「出張」のうち、1週間はスイス航空、もう1週間は編集部が全費用を負担した。ところが、どちらにも「領収書」を出さなかったのである。記事は1字も書かなかった。我が事ながらアキレタものだ。

スイス産業視察ツアーを企画したPR会社のおねえさん(美人)が、1年くらいたって転職の挨拶に来た。

「記事を書いてくれなかったので、わたしクビになっちゃいました」と笑っていたが、あながち冗談でもなかったかもしれない。目が笑っていなかった。どうにも気の毒なことをしたもので、ここで改めてお詫びを申し上げたい。ハイエックさんとのミーティングがオンレコなら書いてましたよ、絶対。

PR会社はともかく、編集部で「領収書を出せ(記事を書け)」という声が上がらなかったのも、考えられないことである。昨今なら間違いなく懲罰ものだろう。「そういう時代」だったのだと感謝するしかない。

アゴアシについては、もうひとつ告白しなければならないことがある。アメリカへの観光客誘致を狙いとして、世界中の旅行関連業者が訪れる一大イベント「パウワウ」だ。

パウワウは毎年、アメリカのどこかの都市で開催される。名所、美味をゲップが出るくらい満喫できるし、その街に縁があるビッグアーティストのライブもお楽しみだ。

編集部の中でも人気が高い「アゴアシ」付きゆえ、出張する記者は毎年の申し送りで決められる。筆者が参加した年はサンフランシスコ開催で、ライブはビーチボーイズだった。季節もよかったし、毎日毎晩酒を喰らって1週間を過ごした。「ゴールドラッシュの歴史探訪ツアー」なんて、それはもう。

このときは、さすがに領収書を出した。出したとはいうものの、1ページにも満たないコラムである。過去にパウワウに参加した記者は3~5ページの記事を書いていたのだから、この程度では「領収書」として認められなかったのだろう。

次の年からパウワウの招待は来なくなった(笑)。

蛇足を連ねれば、翌年開催はニューヨーク。参加する記者も決まっていて、大いに顰蹙を買ったのは言うまでもない。でも、機会があれば(1万%ないけど)、あんな大名旅行を「もう一度」と言わず、やってみたいものだなとも思う。