岩波新書で、かつタイトルが『江戸の学びと思想家たち』となると、なんだか退屈そうな本だなぁ、と思うかもしれない。しかし、視点は新しく、内容はとてもエキサイティングだ。山崎闇斎や伊藤仁斎、荻生徂徠、貝原益軒、石田梅岩ら、江戸時代の思想家たちは、果たしてどのようにまなび、その思想を育んできたのか。著者は、それを詳らかにすることで、近代以前の学びの形を明らかにしようとする。

上に挙げた思想家のうち、石田梅岩を除けば、皆素読を体験している。素読とは四書五経を音読し、自然と口をついて出てくるようになるまで暗誦すること。これは「知の身体化」であり、これこそが江戸期の知のベースであると著者はいう。

ただ素読がベースとはいえ、江戸期の学びの形は多様であり、欧米の制度を参考に明治期に誕生した近代教育ほど画一的なものではない。学びはそれぞれの思想家の「個人的な事情」と密接に結びついていたのだ。

山崎闇斎の朱子学が幕府の信任を得て、武士階級の学びのメインストリームであったのに対し、朱子学を厳しく批判した伊藤仁斎の思想は、京都上層の高度に洗練された町衆文化の中で育まれた。そして、闇斎と仁斎の思想両方を厳しく批判した荻生徂徠の学びのベースは、房総の農村での暮らしにあったという。

さらに著者は学びを媒介する「メディア」という視点で江戸の思想家たちを捉え直す。闇斎においては、学びは師からの一方通行の講釈というかたちで行われたのに対し、仁斎は、3000人にのぼる多数の門人が交流するサロン的な学び場を作った。そして儒学者でありながら『養生訓』を始めとする、平易な和文の本を次々に出版した貝原益軒は、読書によって教養を得るという現代まで続く学びのスタイルを生み出した。石田梅岩は門人たちの対話を中心とした「語り」によって学びを深める一方、その対話を出版し、世に広めるというハイブリッド型。和歌を詠み、自ら歌会を主宰した本居宣長は、歌という「音声」をメディアとした、というのも興味深い。

明治期の教育改革でばっさりと断ち切られてしまった、近代以前の多様なまなびのあり方は実に興味深い。不登校の子どもたちの数が過去最多の約20万人となり、近代学校教育の現場が閉塞感に包まれ、「教育のアップデート」が叫ばれる今、本書から学べることは多いだろう。

『江戸の学びと思想家たち』(辻本雅史著 岩波新書)