『ブッダのお弟子さんにっぽん哀楽遊行』

『ブッダのお弟子さんにっぽん哀楽遊行』ーーそのタイトルとゆるやかな装丁から、古くからの戒律を守るタイの僧侶が日本のカルチャーに驚く紀行を面白おかしく書いたもの、と想像した。だが予想はいい意味で裏切られた。著者は直木賞も受賞した作家であったが、紆余曲折あってタイに流れ着き、60歳代後半に当地で出家した。そして著者の若き師である30歳代半ばの副住職アーチャーンとともに日本に戻った旅の記録が本書だ。

アーチャーンが日本の常識に驚く、という私の想像は間違ってはいなかった。例えばタイでは女性が僧に触れるのは禁じられ、人々もそれを心得ているが、日本でお構いなしに近づいている女性たちにアーチャーンは戸惑う。寺で子どもたちが合掌しないことに驚き、そもそも日本では「宗教」が怪しげな目で見られていることも体感する。だが、それを面白おかしく書いているわけではない。古来からの仏教の戒律の中、それを淡々と受け入れ生きているタイの僧と今の日本の在りようのギャップが生み出す諸々を、著者は静かに、深く、内面に染みてくるような筆致で描いているのだ。

現在の若きタイ僧との紀行の記録に、団塊の世代である著者の過去の回想も加わる。決してうまく行ったとはいえないその人生(家族関係がうまくいかったり、身の丈の超えたさまざまな仕事に手を出して、結果作家の仕事が途絶えたり……)や戦後日本の社会への疑義が語られ、それに対する答え合わせのように、タイの上座部仏教の法や戒律についての言葉が重ねられていく。

実は、何より感銘を受けたのは、その文章である。長年書くことを生業としてきた人が、俗世から離れた視点とどこか達観した心境を得ると、このような文章ーー風のない平穏な海の、寄せては引く波の音のように、人のこころをさざめかせながらも落ち着かせるような、心地よい文章ーーを書けるものなのか、と驚いた。本当に、いつまでも読んでいたくなるほどなのだ。

もしかしたら本書に書かれていること、すなわち、日本に戻ることで心を揺さぶられ、自らの過去を思い出したり、戦後日本の在り方を批判したり、ということ自体が、仏教の観点からすれば俗なことで、ひとつの煩悩の現れなのかもしれない。ただ、そのような葛藤が著者に残されているからこそ、この作品が生まれたのだ。俗世における執着と葛藤と、より高次にある達観とを生きつ戻りつする著者の思索こそが、本書の魅力である。

『ブッダのお弟子さんにっぽん哀楽遊行 タイ発ー奈良や京都へ<影>ふたつ』笹倉明著 佼成出版社