第22回 熱狂のインドへ(その3)

そして、わたしたちはインドに還る(笑)。

幾多の寄り道を経て、今回はようやく「熱狂のインドへ(その3)」をお届けします。

インドと言えば「カースト制度」である。学校で教わるカーストは、バラモン(僧)、クシャトリア(王族)、バイシャ(平民)、スードラ(奴隷)くらいの区分で、日本で言えば「士農工商」のようなものだ。

しかし、実際には身分、職業ごとに数千ものカーストが存在するといわれる。たとえば同じ召使いでも「掃除」と「洗濯」ではカーストが異なるというのだからややこしい。

バンガロールで滞在したホテルのレストランで「カレー」を注文したときのこと。

(ちなみに、インドには「カレー」という料理は存在しないのだが、ここのところを詳しく説明していると、いつまでたっても終わらないので、あえて省略する)

筆者1人に給仕が3人ついた。1人がライスを皿によそうと、もう1人がすかさずカレーをかけ回し、最後の1人がヨーグルトをたらす。といった具合で、あれもカーストによるものなのかもしれないなぁ。と思ったりした。

いくらなんでも、そこまではないでしょうけどね。でも、「洗濯」と「掃除」は確かにカーストが違うのだと聞いた。洗濯専門の召使いに掃除をさせてはいけないし、逆もまた然りなのだという。

この話を教えてくれたのは、米有力投資銀行ゴールドマン・サックスのバンガロール事務所に勤めている現地人である。当時で30歳くらいだったかな。

日本語学校に取材に行ったときに知り合い、日本語が通じることもあって、もっといろいろ話を聞きたいなとお願いした。

「私の名前は雑誌にのりますか。そうですか。それなら、一応会社に確認しなければなりません」と彼は言う。

その1時間後、日本で親しくしているゴールドマンの広報(こちらは日本人である、もちろん)から携帯に連絡が入った。

「そんなとこで何やってんですか?(笑) なんだか知らないけど、怪しいひとじゃないから取材受けてもいいよー、ってアプルーバル(承認)しときましたよ!」

いささか本題とはズレるけれど、これにはかなり感心させられましたね。だって、1時間後ですよ。すごいスピードじゃないですか。

バンガロールでは、誰もが知る日本の電機メーカーにも取材を申し込んだ。しかし、現地には自主判断を下す権限がなく、日本とインドでピンポン玉が飛び交った挙げ句に断わられた。

真のグローバル企業と旧態依然たる日本企業のスピード感、グローバル展開のダイナミズムはこれほどまでに違うものなのかと痛感させられましたね。いや、ほんと。

閑話休題。

ゴールドマンの彼には、自宅に招待してもらい、初々しく可愛らしい奥さんの手料理をふるまってもらった。もちろん、カレーである。繰り返しになるが、インドには「カレー」という料理はないんですけどね。でも、カレーです。

その折に、召使いの悩みを聞いたのである。彼ら夫婦にはまだ子どもがいなくて、2人暮らし。年収は500~600万円くらいなのかな。現地では立派に中流の上くらいの暮らし向きであり、たとえ奥さんが専業主婦であっても、掃除と洗濯の召使いを抱えるのは当たり前なのだそうな。

ところが、彼らの出身は首都デリーである。デリーは北インドで、バンガロールは南インドだ。彼らと召使いでは言葉がまるで通じず、毎日身振り手振りで意思疎通を図っているというから笑ってしまった。

「私はね、あなた(筆者)と日本語で話しているほうが楽です、ほんとに」

インドの紙幣には17種類の言語が記されているが、なるほどそういうわけなのですね。知識階級は例外なく英語がしゃべれるけれど、召使いの階層ではそうはいかないので、同じインド人でありながらボディランゲージ。ということになる。

インドは広い。

当時、筆者を含む5人の記者が手分けしてインド主要都市を取材した。デリー、ムンバイ、チェンナイ、コルカタ、そしてバンガロールである。

コルカタ担当記者によれば、「女の乞食がね、赤ちゃんの死骸を抱いて無心に来るんですよ」。

かたやバンガロールでは、「最近なぁ、ここにもちらほら乞食が流れてきて困ってるねん」(大阪弁の我が愛すべきオバハン通訳?インド人)。

ムンバイでは数十円で身体を売る女性がいるというが、バンガロールではそんな話はまるでなかった。

というのも、現地で知り合いになったソフトウェア開発会社の社長さんがいたのですね。そういえば、この御仁も大阪人だったな。

大阪のソフトウェア開発会社が、バンガロールの下請けに出資し、日本企業からの仕事を回していたわけだ。

で、この社長さん。やたらめったら女好きで、下請けのインド人に「世界中どこに行っても、その手の女はいるもんや。いないわけがない」とバンガロール中を探させた。

ようやく見つけたのが、ストリップティーズを売り物にしているお店で、社長さんの期待通りとはいかないものの、とにかく行ってみよう! と勇んで乗り込んだら、警察の手入れにあって潰れてしまっていたんですと(笑)。

八方手を尽くしても見つからないので、社長さんはとうとう諦めた。

「インドからの帰りは、必ずタイに寄り道するんですわ。精進落としじゃないけど、遊んでかないと辛抱たまらんでね。いっしょに行く?」

バンコクでは、空港から市中心部まで白バイ先導、「一度も赤信号にひっかからない」と豪語してたっけな。お誘いは丁重にお断わり申し上げましたけれど。

きっと、タイの女性に「シャチョーさん」とか言われてヤニ下がっていたことだろう。

いったいぜんたい、この話がどこに行き着くのやら、書いているこちらにも判然としなくなりつつある今日このごろですが、まだまだインドの話は続きます。

次回も、スロットル全開!