第37回 「取り屋」と「銀座のクラブ」の思い出話

その昔、「取り屋」という言葉があった。この話をすると、よく「鳥屋」に間違えられたものだが、「取り屋」です。Google検索をかけても、まともにヒットしないので、今はもう死語になっているのだろう。

ひと言で説明すると、「ブラックジャーナリズム」である。取材相手となる企業の弱味になるような記事を書くぞ、出すぞと脅かす。

それはどうぞご勘弁を、と企業側が頼み込む。いいかげんなところで、じゃあ今回は勘弁してやると折れるのだが、後日になって「うちの媒体、定期購読してもらえませんか」とか「広告を出してもらえませんか」と来るわけだ。企業側は断われないから、しぶしぶ購読代なり広告代を出す。と、まあ、こういうビジネスモデルである。

媒体といっても、ほとんどが会員制のミニコミ誌だ。ほんの数ページのペラペラの小冊子が、年間数十万円に化ける。総会屋なんかも、この手口は一般的に使っていましたね。そもそもは、総会屋から出た言葉なのかもしれないな。

実名は書かないけれど、市販されている経済誌の中にも、半ば「取り屋」のようなことをやっている媒体はあった(今はどうか知りません。まさか、こんなビジネスモデルがいまだに幅を利かせているとは思えないけど)。

ごくたまに、取材依頼の電話をかけると、「広告、出さなきゃなりませんか?」とか「広告代はかかるんですか?」と尋ねられることがあった。こちとらは、何を言われているか分からなくて面食らったものだ。

「広告って何のことですか。うちは、ただ取材させていただきたいだけなんですけど」と説明すると、「よく、そういう方がお見えになるので、、、広告はお断わりさせていただいているんです」という。ははあ、なるほど。と、ようやく腑に落ちた次第だ。

こちらから現金を要求するような真似は、間違ってもしない。

しかし、頼んでもいないのに、お金を握らされることはごく稀ではあったが、あるにはあった。なにしろ、そのすべてを記憶しているくらいである。

とはいうものの、よくよく考えれば一度しかありませんね。有名なレコード針のメーカーを取材したときのことだった。社長さんが別れ際に、「これ、今日はご苦労さんでした」と封筒を渡してくれたのである。

お金だとは正直言って思わなかった。ビール券か商品券かと思っていた。それでも困ったナと思いながら、「どうぞご配慮なく」と返したが、すったもんだで結局受け取ってしまった。

外に出て改めたら、一万円札が5枚入っていた。今なら断固として突き返すところだが、そのころは若かった。「ま、いいか」で懐に入れてしまったのは、痛恨の極みである。

だいぶ後になって知ったのだが、こういう慣習はしかしながら「取り屋」に限らず「あるところにはあった」らしい。

銀座のクラブで飲んでいたときのことだ。いっしょの席に座っていた女の子が突然、店の入口から顔を背けるのである。

どうしたの、と訊いてみると、「今入ってきたの、うちの会社のひとたちだわ」。顔は知らないけれど、締めているネクタイでわかるのだという。

それで、その女の子が、その会社の社員(有名な上場企業だった)であり、銀座の店はアルバイトだということが、初めて判明したのだった(笑)。

身元が知れたので、向こうもこちらの仕事を尋ねてくる。会社の名前を言うと、「あらあ、よく知ってる。うちにもよくお見えになるわよ」というではないか。◯◯さんとか××さんという記者の名前まで飛び出してきた。

へええ、取材に行ってるんだ? と言うと、「ううん、決算説明会にいらっしゃるの」。で、決算説明会で各社の記者が座る机上には「足代」(交通費)と称した現金入りの封筒を置くことになっているそうな。

そんな「上場企業」があるとは夢思わないので、「まさか、◯◯さんとか××さんとかは、それ貰って帰ったりしないよね?」と質したところ、「えええ!、みなさんお持ち帰りになるわよ。残していくひと、1人もいません」というから開いた口が塞がらなかった。

筆者が勤めていた会社のみならず、読者のみなさんもご存じの、あの新聞も、あの雑誌も、みんな「取り屋」ではないか。まったく、困ったもんだ。と思ったものだ。

決算説明会の「足代」などには手を付けずに帰るのが、ジャーナリストとしての常識ではないのか。まあ、レコード針の社長から5万円受け取ってしまった立場としては、こんなことは言えた義理じゃないが。

閑話休題。

他日、同じクラブで、別の女の子がついて、雑談していたときのこと。23時に近くなったあたりで、「そろそろ帰らなきゃ」と言い始めた。

「同級生と待ち合わせて、ごはん食べて帰るの」と打ち明けたところで、その女の子が某女子大学の学生であり、銀座の店はアルバイトだということが、初めて判明したのだった(笑)。

道理で若いなとは思ったが、「今年、入学したばかり」と聞いて、さすがに驚いた。

実名は書かないけれど、世間にそれと知られた「お嬢様大学」である。学校の同級生って、何人くらいいるの? と訊いてみた。何人くらいでごはん行くの? というつもりだったのだが、答えを聞いて二度驚いた。

「え? 40人くらいかな。わたしのクラス全員、みんなこのあたりでバイトしてるよ」。正直言って、脱帽するしかなかった。いやはや恐ろしい時代になったものだわい、とつくづく感じ入ったものだ。

そんなことがあったのが、もう20年も前になるだろうか。ちょうど、娘が生まれた頃合いだったので、ね(苦笑)

今は、銀座にはまったく行かない。取材先のおえらいさんが行かなくなったので、そもそも用事がなくなった。

行けば、面白い話は転がってるんでしょうけどね、まだまだ。でも、「座って5万円」みたいな店には、そうそう行けるもんでもなし。

「取り屋」の話題ついでに、とんだ昔話になってしまったけれど、来月もよろしくお付き合いのほどを、よろしくお願い申し上げます。