今回は「ソニーの復活」について書いてみたい、と予告していた。しかし、よくよく考えてみると、メルマガブログのテーマである「経済誌記者のここだけの話」とは何の関係もない(「けいざいしきしゃ」で入力すると「経済指揮者」に変換されるのは、余談である)

いかにも関係があるように書けなくもないのだが、よくよく考えてみると、「ソニーの復活」は別口でかなりの原稿料を稼ぐことができるネタでもある(笑)。そういうわけで、話題を変えようかなと思う。

面白いんですけどね、ソニー。史上最高益を更新し、株価はうなぎのぼり。その原動力は、テレビでもパソコンでもなく、鬼滅の刃でありプレステでありYouTubeであるという。ソニーといえば、トランジスタラジオやウォークマンのイメージが強いけれど、現在の主力は「エンタメ」なのである。

言い換えれば、ソニーという会社は「メーカー」ではなく「エンタメ」にトランスフォーメーション(変身)したのだ。

さらに興味深いのは、こう言っては失礼だけれど、出井伸之以降の歴代社長が必ずしも「名経営者」ではなかったことだ。盛田昭夫、大賀典雄といったカリスマ亡き後、強力なリーダーシップ不在が続く中で、ソニーがこれだけのトランスフォーメーションをやってのけたのは不思議なことである。

出井さんとは、なにかのパーティーで名刺交換した程度の面識しかないのだが、忘れられない話がいくつかある。もう時効だろうから、ここで書いておいても悪くはないだろう。

ひとつは、沖電気工業である。沖電気が経営危機に陥った1990年代、ソニーに支援を求めたことは秘中の秘だ。当時のソニーの社長が出井さんで、沖電気の社長は直接出井さんに「身売り話」を持ちかけたのだという。

出井さんと沖電気社長の会食場所は、銀座の「出井」という料理店だった。ソニーの出井は「いでい」だが、銀座の出井は「いづい」である。ちなみに、銀座の「いづい」は今はない。光陰矢の如し。

出井さんは、(読みは違うが)同じ名前の「いづい」を贔屓にしていて、よく使っていたのだそうな。この店で、沖電気社長は経営支援についてはキッパリと断わられた。「けんもほろろだった」という。「だからね、俺は”いづい”には怨みも何もないんだけれど、二度と行かないようにしてたんだよ」

という話がなぜ飛び出してきたのかというと、沖電気社長と筆者の2人っきりで「いづい」で会食したことがあったからだ(笑)。

相手は社長だが、勘定はこちら持ちだったので、場所は「いづい」にした。当時、筆者もよく使っていたので心安かったためだが、沖電気の社長さんは「いづい」と聞いて、「出井の屈辱」を思い出したらしい。

店が「いづい」でなければ、絶対に出てこない話であり、こういうところがツイていたなぁ、と今にして思う。会食で使っていた店は「いづい」だけでなく、いくらもあった。その中から、偶然「いづい」を選んだだけなのだ。

もうひとつ、忘れられないのは、キヤノンの御手洗冨士夫社長、松下電器産業(現在のパナソニック)の中村邦夫社長と会食したときのことだ。

「出井ソニーについて、どう思いますか」と聞いたところ、間髪を入れずに「怖くないね」という答えが返ってきた。理由もふたり同じで、「本気で”モノづくり”をやろうとしているとは思えない」というものだった。

本気でモノづくりをやろうとしなかったからこそ、ソニーは変身・復活を遂げた。本気でモノづくりをやろうとした松下は長期低迷から脱することができず、キヤノンもまた最高益更新から遠ざかっている。

この点がまことに味わい深く、また掘り下げるべき価値があるわけだが、ここから先は別の媒体に書くことにしよう。でも、ここまでの話は「ここだけの話」で、とてもじゃないが他所には書けない(笑)。

とどのつまり、ソニーのこぼれ話だけで終わってしまったけれど、悪しからず。次回もよろしくお付き合いください。