河野太郎有利という下馬評をひっくり返して、岸田文雄が第100代目の総理大臣に就任した(今回はすべて敬称略とさせていただきます)。

後講釈なら何でも言えるわけだが、やはり石破茂とタッグを組んだことが「悪手」だったように思う。世論調査で圧倒的にリードしていた河野にとって、いちばん厄介なのは自民党員・党友の支持を集める石破と映ったのだろう。

そこで先手を打って、石破に渡りをつけ、党員・党友票が割れることを防ぎ、世論の追い風を受けて自民党総裁選の1回目投票でぶっちぎり当選を狙ったわけだが、考えてみれば石破立候補の可能性は今回はそもそも低かったはずだ。

その石破を味方に引き入れたことで、「石破嫌い」で知られる安倍晋三・麻生太郎を敵に回すことになったのだから、国会議員の多数派工作で勝てる道理がない。そんなことは河野も百も承知で、1回目投票に賭けたのだろう。党員・党友票でぶっちぎれば、国会議員票で劣勢でも十分勝てるという計算だ。

このあたりの単純さ(いい意味で言ってます)、わかりやすさが河野人気の源泉でもあるので、今更「石破と組んだのが間違いだった」と言っても致し方ない。ちょっと、小泉純一郎に似てますよね。「奇人」です。

一方の岸田文雄は、小泉を「奇人」と呼んだ田中真紀子からすれば、小渕恵三と同じく「凡人」ということになるのかもしれない。

しかしながら、ただの「凡人」ではないとも思う。なんとなれば、筆者は昨年の自民総裁選に立候補した岸田にインタビューしているからである。菅義偉が二階俊博の協力を取り付け、電光石火の早業で当選を決めたため、「もう次の目はない」とまで評された岸田だが、なかなかの人物であるという印象を受けた。

まず、この政治家は「挫折」を知っている。開成高校を出て超エリートコースに乗るはずが、東大受験に3回も失敗。早稲田大学から日本長期信用銀行(現あおぞら銀行)に就職した。当時は長銀も一流だったが、超一流の日本興業銀行(現みずほ銀行)からすれば、やはり格下の感は免れない。

3回目の東大受験をしくじった年は早稲田と慶応の両方に受かり、「ハイカラの慶応より、バンカラの早稲田の方が自分に合っていると思った」というのも、いささか意外だった。早稲田より慶応ってタイプに見えませんか?

挫折体験があるせいか、「どぶ板を踏む」ことを厭わない性分でもある。「歩いた家の数しか票は出ない。手を握った数しか票は出ない」という信条から、初めての国政選挙以来、ずっと街頭に立ち続けてきた。外務大臣に就任してもなお辻説法をやめなかったというから大したものだ。

なにより興味深いのは、自らの強みが「バランス感覚」だと言い切ったことである。昭和の昔なら兎も角、今の世の中「バランス感覚」は、とりわけ政治家にとっては、決して褒め言葉にはならない。

ところが、「現代に、政治的なヒーローやカリスマは必要ない。1人のリーダーによって何でも物事が解決できる、そんな甘いものではないですよ」と岸田は言い切る。国民の協力、外国の協力を得るためには、バランス感覚こそが必要だと何度も強調していた。

河野太郎とは対照的だな、と感じたことを今でも憶えている。河野が総理大臣になれば「政治的カリスマ」を目指したことは想像に難くない。

バランス感覚に優れていることが褒め言葉にならないのは、おそらく「決断力がない」というイメージと重なるからだろう。しかし、バランス感覚があって決断もできるのであれば、大谷翔平じゃないけど最強の「二刀流」だ。総理の座に就いた岸田に問われるのは、正しく「決断力」であろう。

とまあ、今回はここまでが前置きで、これからが本題である。相変わらず前置きが長くて申し訳ありません。

今回の自民総裁選のような「政局」で思い出すのは、某政治評論家である。まだご存命でもあるので、名前はAとしておこう。

筆者が関わっていた週刊誌でAの連載をやることになり、10年近く担当編集者としてお付き合いをさせていただいたご縁である。

背丈も声も大きいが、態度はそれに輪をかけてデカかった。「お前は何を考えておるんだ。俺があれだけああ言っただろう!」と電話で怒鳴り散らしているので、「誰ですか?」と聞いたら国会議員だった(笑)。

そんじょそこらの国会議員じゃ対手にもならない。当時の自民党のドンだった金丸信あたりと「俺、あんた」の関係を築き、党中枢に深く食い込んでいた。それだけに、「政局」を見る目は確かだった。

年に2回、「お決まり」の電話がかかってくる。最初の一言も決まって同じだ。「おーい、君は何かを忘れてはいないか?」。うまいものを喰わせろ、という催促なのである。普通は担当編集者の方からお誘いするのが筋なのだが、毎度のように先を越された。

そのたびに手を変え品を変えで「接待」する。態度はガサツだが大変な食通なので、うっかりした店にはお連れできない。厳選の上にも厳選を重ねて、カネには糸目をつけず(払いは会社であるからして)、最高の店でご馳走する。

「うーん、君の紹介してくれた、あのスッポン屋(もしくは中華料理屋、すき焼き屋等々)は日本で二番目にうまいな」というセリフを何度か聞いた。負けず嫌いゆえ、「一番目」とは言いたくないのである。

一度、夏休みの締切を1週間間違って伝えたことがあった。毎年の夏休み、Aは北海道で連日ゴルフに興じる。ということは知っていたので、この時ばかりはさすがに青くなり、飛んでいって額が擦り切れんばかりに頭を下げた。

さんざん怒鳴られ、説教を食らったあとで、「君、こんな時に手ぶらで来るとは世間知らずもいいところだぞ。永田町では”とらやの羊羹”と相場が決まっているんだ」と言われ、さっそくお届けした。とらやの羊羹が、あんなに高いものだとは知らなかった。

と伝えたところ、永田町では冠婚葬祭もろもろで。とらやの羊羹は一種の「通貨」のようになっているらしい。場合によっては、とらやの紙袋に「現金」をぶちこんでやり取りすることもあると聞いた。

田中角栄は、ウイスキーの「オールドパー」の空箱に現ナマを突っ込んで総裁選の買収工作をやったと言われるが、昨今は「とらや」なのである。みんな頻繁に持ち歩いているから目立たないということもあるのだろう。

そんなこと、あんなことを、折々に教えてもらったことが、今となってはとても懐かしい。Aの話になると、とても1回じゃ紹介しきれないが、かと言って2回も3回も書くものでもないしなぁ。ま、いずれ、何かのついでに再登場することもあるかもしれません(笑)