第49回 迫り来る出版流通の大変革、そしてアマゾンからヘッドハンティングされかかった話

「講談社がアマゾンと直接取引を開始する」という新聞報道を読んだ。実に何と言うか、今昔の感に堪えませんね。

20年以上も週刊誌記者を続けてきたが、その間に10ヶ月だけ「営業部長」を経験したことがある。と以前に書いた(第46回 たった10ヶ月の「営業部長」、異次元の書店・取次体験参照)

それが、2005年のことである。16年前の話になるわけだが、そのころすでにアマゾンからの直接取引要請は何度も受けていた。講談社など大手出版社もご同様だったはずで、アマゾンにしてみれば長年の宿願がようやくかなったことになる。

最大手の一角である講談社が飛び降りた今となっては、他の出版社も揃って追随する公算が大きい。「赤信号みんなで渡れば怖くない」だ。

なぜ、「赤信号」だったのか。まず、最大の理由は「取次」に対する遠慮である。取次は、書籍・雑誌の「卸問屋」みたいなもので、出版流通ピラミッドの頂点に位置している。あらゆる出版社が発売する書籍・雑誌のほとんどは、取次ルートに乗って全国津々浦々の書店に送られていく。

アマゾンとの直接取引は、すなわち「取次飛ばし」だ。取次を怒らせると後のたたりが怖いから、うかつに動けない。

次に、直接取引の条件が、取次に比べて悪いことがあった。その最たるものが出版社からの「卸値」であり、業界用語では「掛け」という。

歴史が長い大手出版社は、取次から非常に優遇されており、書籍・雑誌で若干異なるものの「掛け」は60%を超えていた。定価1000円の本なら600円以上で取次に卸していたわけだ。

アマゾンから直接取引要請がある一方で、取次による「掛け」の引き下げ交渉はいわば年中行事のようなものだった。しかしながら、60%を超える「掛け」はいわば既得権なので、出版社側は絶対に応じない。

産業規模の視野で見れば、出版社の取り分が多くなるほど、書店の粗利が削られることになるため、書店経営が苦しくなる。書店の倒産・廃業が増えれば、自らの首を絞めることにもなりかねない。

よって、引き下げ要請に応じるのが長期的視野に立てば正しいのだが、1社だけが正しいことをやってもバカを見るだけなので、当時はどの大手出版社も「掛け」を死守することに躍起となっていた。おそらく、現在でも事情は変わっていないだろう。変わっていたらゴメンナサイだが、変わっているとは思えない。

余談になるが、出版社に対する取次の支払い条件というのは非常に複雑で、支払いのタイミング、回数、金額のマトリックスなどは、何度聞いてもどうしても実務としては理解できなかった。

同じ出版社でも、書籍・雑誌ごとに条件が違う。いつ最初の入金があるか。最初の入金で、売上全体の何パーセントが振り込まれるか。1度に100パーセント支払われることはないので、必ず何度かの「分割払い」になる。

したがって、1冊の書籍、1冊の雑誌の売上は、数ヶ月の時間を経て完全に支払われることになり、驚くほどややこしい。それを平気な顔で把握していた営業部の古手社員などは、筆者からすれば「神様」のように映ったものである。

「掛け」と同じく支払い条件についても、大手出版社は優遇されていた。話をわかりやすくするために簡略化して説明しよう(したがって、正確な数字ではない。あくまで「モデル」である)。

1冊1000円の本があるとする。大手の場合、「掛け」が65%として正味売上は1冊につき650円となる。繰り返しになるが、650円は一括入金されるわけではない。翌月に350円、その後は毎月150円ずつ入金されて、都合3ヶ月で入金が完了する。

中小・零細については、「掛け」が50%前後と低い。55%と仮定して、正味売上は1冊につき550円にしかならない。しかも、入金は2ヶ月後(翌月ではない)に250円、その後は毎月100円ずつで5ヶ月もかかったりする。

要するに、経営に余裕がある大手・老舗に優しく、資金繰りに追われる零細・新興に厳しい支払い条件になっていて、こういう慣行も出版産業が縮小していく素地となっている、と当時は思ったものだ。単純な「活字離れ」だけではないのである。

だいぶ脱線してしまったので、話を元に戻そう。大手出版社に対してアマゾンが提示してきた「掛け」は、(出版社によって当然異なるが)確か50%台の半ばくらいだったと記憶している。もっと低かったかな? いずれにせよ、取次に比べて驚くほど低く、出版社にとっては著しく不利だった。

もっとも、一概に「著しく不利」とも言い切れない側面もある。

そのころすでに筆者が働いていた出版社の書籍・雑誌をいちばん売っていたのはアマゾンであり、紀伊國屋書店の全店合計を軽く上回っていた。しかもその勢いの差は歴然としており、アマゾンが猛烈なスピードで成長し続ける一方で、既存書店の不振には歯止めがかからなかった。

かてて加えて、アマゾンには「返品」がない。全書籍・全雑誌「買い切り」である。取次ルートの場合、最終的に売れ残った商品は出版社に「返品」され、差額を取次に支払わなければならない。雑誌の場合、返品率は40%くらいになる時もあるので、入金された売上のうち最終的には60%しか入ってこない計算だ。

そうなると、返品いっさいなしで50%半ばという「掛け」は、実際のところ取次に比べて非常に良いとも言える。みんなそう思っていたはずだが、誰もアマゾンの誘いに乗らなかったのは、やはり取次への遠慮が大きかったということだろう。

裏を返せば、アマゾンとの直接取引は、取次に対する遠慮がなくなりつつあるということでもあり、出版流通に大変革をもたらす予感がある。

最後に、思い出話を1つ。たった1度だけ「ヘッドハンター」(正確には「エグゼクティブサーチ」という)から電話がかかってきたことがある。その世界では超一流として知られる「コーン・フェリー」とあって、転職する気などはサラサラなかったが、取材半分の興味心から面接に出かけた。

コーン・フェリーに依頼した会社の名前(つまり、転職先)は、面接まで教えてもらえない。しかし、コーン・フェリーといえば、A級の外資系金融機関御用達であり、年収1億円プレーヤーの人材をごろごろ転がしている。人材仲介の手数料も非常に高く、そんじょそこらの会社が活用できるものではない。

で、面接で訊いたら、これが何と「アマゾン」だったんですね。年収の具体的提示はなかったが(転職の意思を明確にしないと、やはり教えてもらえない)、少なくとも出版社の数倍にはなったはずだ。

記者という仕事が好きだったし、それは今でも変わらないので、まったく未練はないわけだが、あの時アマゾンに転職していたら、人生どう変わっていたんだろうなぁ。などと、考えることもある(実を申せば、これまで考えたことはなかったが、この原稿を書きながら考えさせられた)。

それにしても、なぜ筆者に白羽の矢が立ったのか。コーン・フェリーの説明を聞いても、今ひとつ分からなかった。その後、二度と連絡が来ることもなく、いったいあれはなんだったんだろう、とも思う。