第55回 マージャンを通じて深まった人間関係。銀行・証券の「雀豪列伝」

今回はグッと砕けて(毎度砕けているような気がしないでもないが)、「マージャン」の話である。やるひとにはわかるが、やらないひとにはチンプンカンプン。というくだりもあるので、予めご容赦をいただきたい。

週刊誌の記者時代、マージャンは内輪でも取材先ともよくやった。よくやったと言っても、内輪で月2~3度。取材先とは春夏秋冬に1度ずつくらいのものである。しかしながら、内輪でやる場合は、どこか近場の旅館まで出張り、2日がかりのデスマッチをやったりしたこともあったから、まぁ好きだったのだろう。

いろいろな業界を担当してきたが、マージャンの卓を囲んだことがあるのは、なぜか銀行・証券会社の方々ばかりである。NTTとか旧郵政省とか日立製作所とかキヤノンとか日本IBMとか、社名を並べればキリはないが、かなり突っ込んだ付き合いをしていた会社でも、マージャンを打ったことはない。

かなり親しくならないとマージャンなどはしないし、したがって「接待」などはありえない。お互いに勝ち負けにはこだわる。張り合い程度ではあっても、なにがしかの賭け金もかかる。

その頃、銀行界には3人の「雀豪」がいた。みずほコーポレート銀行の斎藤宏頭取、三菱東京UFJ銀行の永易克典頭取(故人)、中央三井信託銀行の田辺和夫社長である(社名・肩書きはいずれも当時)。

この3人のメンツをセットして、共に卓を囲むのは実に面白いことだなと思っていた。斎藤さんだけは「俺はもう何年もやってないから」とやんわり断わっていたが、最後は「他の2人がやるってんなら、やってもいいよ」になった。

やろうと動けばやれたのに、生来のナマケモノ気質がたたって、雀豪との対局は実現することはなかった。一緒に打ったことがあるのは、田辺さんだけである。

田辺さんは、旧三井信託銀行が経営危機に陥った時から、すでに実質的な「社長」として生き残りのための綱渡りをやってきた。彼がいなければ、三井信託は親密先のさくら銀行(現三井住友銀行)傘下に降るしかなかっただろう。金融当局も驚いた中央信託との合併で活路を開き、現在の三井住友信託銀行に至るまで独立路線を貫いたのは、正しく田辺さんの功績だ。

金融界では屈指の名経営者であり、度胸も勝負勘も抜群によかった。マージャンには「人格」が出る。田辺さんは勝負には恬淡としているが、ここぞという一発を外さない。勝っても負けても(当然、負けたが)、実に気持ちのいいマージャンだった。田辺さんについては、他日に改めて記す折りもあろう。

斎藤さんは、旧日本興業銀行の先輩・同僚・後輩が口を揃えて曰く「勝つまでやめないから強い」という評判だった。なるほど、それは最強だ(笑)。

グルメで、女好きで(「路チュー事件」をご記憶の方もあろう)、マツケンサンバを振り付きで歌ったりする。自他ともに認める「歌って踊れる頭取」であった。斎藤さんについては、そんなエピソードが山ほどある。他日に改めて記す折りもあろう。

3人の中では最も付き合いが薄かったのが、永易さんである。が、マージャンに関する噂はどこからともなく聞こえてくるもので、常務になるあたりまでは銀行本店の近所にワンルームマンションを借りていたとか。毎日毎晩、マージャンで遅くなるから自宅に帰れないのだ。勝ち金で家賃を払っていたというから、大したものではある。

いちばん頻繁に打ったのは、興銀と野村證券の方々だ。興銀について書き始めると話が終わらなくなるので、ここでは野村のエピソードを紹介しよう。

ある名物役員が部下と卓を囲んだが、何度やっても芽が出ない。負けに負け続け、日付けが変わったころ、「こうなったら、てめえら、カシワが鳴くまで帰さねえ!」と宣言した。

「はい! わかりました!」という部下に向かって、役員氏は「わかったぁ? てめえ、本当にわかってんのか。カシワが何かわかって言ってんのか」。「カシワってニワトリですよね。ニワトリが鳴くまで帰さないんだから、朝までやるってことですよね?」

「バカヤロー! だから、てめえはハンチクだって言うんだ。カシワってのはニワトリじゃねえんだ。ニワトリの肉だ。肉が鳴くか?、このヤロー! 死ぬまでやるんだ!」

いやはや、大変な騒ぎである。この役員氏は一時は野村の次期社長候補とまで囁かれたが、後には「いちよし証券」の社長に転じた。って書くと、せっかく名前を伏せても誰かわかっちゃうなぁ。まあ、時効だろう。

徹夜マージャンといえば、こんな話もある。証券不祥事でぶったたかれている最中、野村の広報部では毎晩「マスコミ対策」と称してマージャンを打っていた。不謹慎だと思われる向きもあろうが、これぞ「ノムラ」である。したたかで、しぶとい。

ある日のこと、広報部長が一晩で52万円負けた。時計は、朝の8時を回っている。負けが負けだけに、他の3人は最後まで付き合ったが、さすがに会社に出ないと間に合わない。雀荘から会社に直行である。

その時、広報部長氏。黙ったままサイコロを振り、「はい、おまえ親」とゲームを続けようとしたそうである。ご本人のキャラクターを知っていることもあるのだが、実に何とも心温まる話である(笑)。

52万円は大金だ。しかし、広報部のマージャンは年2回の「ボーナス精算」。「貸借対照表」なる手書きの紙があって、一見したところ半年通算では不思議に凸凹はなくなっている。これには妙に感心させられたものだ。

この広報部長氏は、この時のマスコミ対応で頭角を現し、後には日本証券業協会長にまでなった。って書くと、せっかく名前を伏せても誰かわかっちゃうなぁ。まあ、時効だろう。

最後に落とし話をひとつ。広報部のマージャン代(場代)については、雀荘から請求書が送られてきていた。つまり、会社の経費で落ちていたわけだ。

決済するのは、広報担当役員である。ある日のこと、広報部長氏を呼んで「あのね、場代のことなんだけど」と切り出した。てっきり小言を食らわすのかと思いきや、「たまには僕も仲間に入れてよ」。

お後がよろしいようで。