第57回 ABC調査とバルク買い、「記事という名の広告」を書かねばならなかった事情
新入社員に毛が生えて間もないころ、「安田火災設立100周年」をお題にした記事を「書かされた」ことがある。
安田火災ってのは、現在の損保ジャパンですね。バブルの時代にゴッホの名画「ひまわり」を買ったことで有名な。
ひまわりを買ったのも、確か設立100周年。記事のあらましは、そんな区切りに猛烈な営業攻勢をかけ、上半期で業界トップの東京海上(現・東京海上日動)を初めて逆転した、というものだ。
(余談になるが、58億円で買った「ひまわり」は、今売りに出せば500億円は下らない、とオークションハウスの関係者に聞いたことがある)
「こんな記事を出して下手に刺激したら、東京海上が本気で巻き返してくるに決まっている。逆効果になるんじゃないか」と個人的には思った。事実、その年度が終わってみれば、安田火災はズタボロに負けていた。
それでも、編集長が「書け」というのだから、否も応もない。編集長は広告部に頼み込まれ、広告部には安田火災からお金が入って、というカラクリである。
広告部の収入となっているのだから、「記事という名の広告」である。いわゆる、「ペイドパブ(リシティ)」というやつだ。
昨今のペイドパブには、必ず「広告である」旨のクレジットが入っている。しかし、その昔はクレジットなしの「提灯記事」も少なくなかった。
この手の記事に関しては、広告収入になるだけではない。クライアントがまとめ買い(業界ではバルク買いと呼ばれている)してくれるから何百部、何千部という部数の上乗せにもつながる。
一般にはそれほど知られていないが、「日本ABC協会」という組織があって、半期に一度、中立的な立場から新聞や雑誌の「実売部数」を公表している。
ABC調査による実売部数データは誤魔化しがきかないため、電通などの広告代理店にとって媒体価値判断の目安となっている。
同じビジネス誌で、A誌が実売20万部、B誌が10万部とすれば、媒体価値(=広告掲載料金)は当たり前のことだがA誌の方が高い。
販売収入・広告収入のポートフォリオは、雑誌によっても異なるが、筆者が長く在籍していた週刊誌の場合はちょうど半々くらいであった。
「半々」というのは、すべての雑誌の中でも広告収入が低い方の部類に入る。パソコン雑誌などは9割以上が広告収入であり、広告を載せるために雑誌を出しているようなものだ。
クレジットなしのペイドパブは、ABC調査の「カサ上げ」をするためにも活用されていた。たとえば、実売10万5000部の雑誌があるとしよう。今半期は売り上げが落ちて、10万部達成は難しい。週刊誌なら1号当たり100部上乗せすれば、10万部を維持できるーー
半期の週刊誌発行回数は25回なので、1号当たり100部なら2500部。余裕を見て3000部も上乗せすれば、10万部は死守できる。という計算から、安田火災のような会社の提灯記事を書かされる羽目になる。
「死守」しなければならないのは、10万部と9万9000部では媒体価値が変わってくるからだ。わずか1000部の違いで広告掲載料金がガタ落ちしてしまう。
つまり、部数減少は販売・広告収入の往復ビンタでマイナスとなる。こんな事情があるから、バルク買いという禁じ手に走らざるを得ない。
比較的まともな雑誌でこうだから、ABC調査に加入していない媒体などは、もっとひどい。
「記者と一緒に広告部員がやってきた」
というビジネス誌の話を聞いたことがある。記事と広告掲載が最初からセットになっているわけだ。
その昔、ある中小企業に取材を申し込んだところ、「広告は出さなければならないんでしょうか?」と何度も念を押されたことがある。「記事と広告のセット販売はお断わり」と言いたかったのだろう。
「比較的まともな雑誌」の記者としては、そうと気づいて驚くしかなかった。ABC対策のバルク買いなんて可愛いものである。
働き盛りの頃には、ペイドパブの「ご指名」は何度かあった。かつて批判的な記事を書き、ぶっ叩いたことへの意趣返しでもあったのだろう。札束でほっぺたをひっぱたいて気に入らない記者に提灯記事を書かせるなどは、ある種の「カタルシス」には違いない。
そんな時は、何の抵抗もこだわりもなく「提灯記事」を書いた。これも仕事だからと割り切るしかなかった。割り切った以上は、全力でヨイショするから、クライアントも非常に驚いていた。
「普段の記事もこの調子でお願いしますよ」と言われたことがある。半沢直樹じゃないけど、「倍返し」にしてやったら、広告部から苦情が来た。あんな記事を書かれては、広告が入らなくなるというのだ。
雑誌というものが記事と広告の両輪で成り立っている以上、
編集部と広告部のあいだには常に葛藤が生じる。
そんな内幕を、(気が向けば)次回も記してみたい。