第123回 「呑みの記」は残った

0.はじめに
5月の大型連休明けの平日に小旅行をしたときのことを書こうと思う。
2ヶ月ほど前の出来事を今さら書くのはどうかなと思いつつ、書こうとしているのは、
その時は気づかなかったけれど、今になって振り返ると教訓のようなものが含まれている気がしたからだ(ホントかな)。

1.海へ
5月の初め、僕は二回りくらい年下の友人とフェリーで仙台に向かった。
その友人は仕事上では上司的な立場であるが、初老にさしかかった僕のことを気遣い、
自宅までアメリカ製の電気自動車で迎えに来てくれたのだった。

電気自動車は、札幌から道央道を1時間走って苫小牧に到着した。
19時発のフェリーに乗る前にフェリーターミナル近くのショッピングモールに寄った。
夕食とお酒を仕入れるためだ。そして自動車にも電気を食べさせた。

仙台に向かうフェリーの船名は「きそ」。大きな船だ。
全長約200メートル、総トン数1万5千トン超で、乗用車113台と乗客768名の運搬が可能だ。
内装も豪華でエントランスから中央へ繋がる階段は映画で観たタイタニックそのものだ(嘘です)。
(でも、なぜ船名は「きそ」なのか?「木曽路はすべて山の中」なのに)

予約していた特等席は瀟洒なシティホテルの部屋のようだ。
窓からは薄暮の凪いだ海が見えて、対岸にインスタ映えする工場群がライトアップされていた。
出航までに時間があるので船内を探索しつつ、お風呂に向かった。
湯船は窓から海が見える源泉掛け流しの天然温泉だ(嘘です)。
洗い場には、背中に綺麗な彫り物をした先客がいたが、すでに海上(日本国外?)なのでお咎めはないのだろう(嘘です)。

・・・こんなペースで書いていくと、仙台に辿りつけないので、以下省略。

一つだけ書くと、その日の太平洋は白波が立って、大きなフェリーは遊園地の遊具「バイキング」並に揺れたのだった。
出航前からアルコールを摂取していなければ、大変な目にあったに違い(「酔う前に酔え」の原則を忘れない)。

翌朝、船から松島を観ることは叶わなかったが、無事仙台港に到着した。
・・・下船の際に一悶着あったのだが、紙面の関係で省略。

2.山へ
今回の旅の目的は、僕たちと東京の友人二人と仙台在住の友人とで宴会をすることだった。

東北新幹線で北上してきた友人二人を仙台駅でピックアップし、
都合四人となった僕たちは電気自動車で仙台在住のU女史の豪邸へと向かった。

仙台は杜の都である。
広瀬川が縦横無尽に流れ、随所に緑が溢れている。
その豊かな自然が電気自動車の行く手を阻む。
U女史の邸宅は秘密要塞なのか?
カーナビはすでに職務を放棄していた。

・・・このあと、電気自動車は延々と杜の中を走るのだが、紙面の関係で省略。

U女史と無事に合流した我々は、旧交を温める時間も惜しんで(?)、昼食へ向かうことにした(本源的欲求には逆らえないのだ)。
U女史お薦めの蕎麦店に向かう。
それは山の方だった(実際は街の中だったかもしれないけど、土地勘がないため、海、川、山としか言えないのだった)。

移動することウン十分、雰囲気と歴史のある蕎麦店に着いた(名前は失念した)。
県外ナンバーの車が駐車場に溢れていて、著名な蕎麦店であることは間違いないようだった(でも、名前は失念した)。

店内、一階は満席で騒然としていたので、二階に上がった。
そこは打って変わって静寂で、窓外には由緒ある(かもしれない)日本庭園を見下ろすことができた。

僕たちは燃料切れを起こしかけていたため、とりあえずビールを注文した(ドライバーの二人は残念ながら「忍耐」を強いられた)。
そして、アルコール(または水)による機能回復を果たした僕たちは、それぞれ蕎麦を注文した。

僕は温かい肉蕎麦と鶏めしを食べた。
喉ごしのいい手打ち蕎麦は美味かった。
さすがは山形蕎麦だ!
ん?なぜ仙台で山形蕎麦?
(宮城県の隣は山形県なのだが・・・。愛媛県で食べる讃岐うどんのようなものなのか・・・。違うか・・・)。

3.さらに山へ
美味しい山形蕎麦に舌鼓を打ったあと、僕たちはさらなる秘境へと向かった。

宮城の秘境といえば、宮城峡だ!(と勢いだけで書いてみた)。
宮城峡にはウイスキー工場があるのだ。
僕たちは、旅先での酒蔵・ワイナリー探訪が大好きだ。
もちろんウイスキー工場探訪も大好物だ。

意外にも、仙台在住のU女史はこの工場を訪れたことがないということだったので、工場見学ツアーに参加することにした。

休日であれば、予約なしでは参加できない工場見学ツアーも、大型連休明けの平日は自由に参加できた。
実際、見学ツアーはすでに始まっており、バスガイドのような制服を着た若い女性に引率された4人が100メートルほど先の道路を歩いていた。
僕たち5人も女性ガイドの一団に追いついた。

先客4人は初老の男女と若い男女で、それぞれ別なカップルのようで、妙な緊張感が漂っていた。
どことなく、工場の建物を見る眼も鋭い(ような気がした)。
とにかく、こんな日にウイスキー工場を見学する人間は、ただ者ではないのだ(僕たちはただ者ですが)。

ピートで燻した大麦麦芽を乾燥させるキルン棟から、糖化・発酵させる仕込棟を見学して、仕込棟でアルコールとなったものを
大きなポットスチルで蒸留していく蒸留棟でウイスキーの原型の香りを感じながら、木製の年季の入った空樽を見て、
貯蔵庫で未来の美味しいウイスキーが満たされた樽をながめた。

そして、いよいよお待ちかねのウイスキーの試飲ができるゲストホールに到着した。
試飲という大イベントの前にガイドさんはこのウイスキー工場の立地について説明を始めた。
でも、試飲ウイスキーを目の前にして、気もそぞろな僕たちはガイドさんの話がまったく頭に入らない(「僕たち」ではなく、「僕」だけだったかもしれない)。

ガイドさん「NHKの朝の連続・・・・の主人公にもなった・・た・・まさ・・は、マッサンという愛称で親しまれ・・・・・・外国人の奥様から・・・・」

(えーと、外国人の奥さんがいてマッサンというと・・・千昌夫のことかな?彼は岩手県出身だったな・・・)

ガイドさん「ウイスキーにはいい水が必要で・・・・森が・・・・・山の裾から・・・・この土地の近くにきれいな川が・・・・。
その川の名前は、漢字で新しい川と書いて、ニッカワ(新川)と・・・・」

(え!だから「ニッカ」ウイスキーなのか)

ガイドさん「社名とは関係ありませんが・・・この水があるから・・・ここに工場を建てることに・・・そして、さらに良い土地・・・・」

(「良い土地」?「良い地」?「よいち」? ああ、それで北海道の余市にも工場を作ったのか。なるほど・・・)

ガイドさん「きょうの試飲は・・・」

(わーい!試飲だ!)

出来たて(と思われる?)ウイスキーをそのまま口に含んでみた。
呑む直前に芳醇な香りが起ち、口の中に熱い液体が広がった。
ニッカワの水で割ろうかと思ったが、美味しいのでそのままストレートで飲み続けた。
頭の中に、中島みゆきの「麦の唄」が流れ、それを追いかけるように「星影のワルツ」が流れてきた。

ちょっと酔ってきたかもしれない・・・。

このあと僕たちは、本来の目的である宴会なのに・・・。
仙台市内の季節料理のお店に行かなくてはならないのに・・・。

————
このような事情で、本来の目的である宴会の記憶は曖昧模糊として、宴会記録の「呑みの記」も書かれないまま残されてしまったのだった。

教訓:なにかを手にしたとき、人は知らずに なにかをなくしてる(なんのこっちゃ)

※私的な仙台(伊達)での騒動ではありますが、山本周五郎先生の「樅ノ木は残った」とは全く関係ありません。あしからず。