第59回 経営の「神様」の意外なエピソード、追憶の中の「人間」稲盛和夫を悼む

実業家の「稲盛和夫」は「稲森和夫」ではなく、女優の「稲森いずみ」は「稲盛いずみ」ではない。

ないのであるが、2人の「イナモリ」がごっちゃになるせいか、両方たすき掛けで勘違いされている方々は意外に多い(ギクッとしませんでしたか?)

そういうわけで、今回は8月24日に大往生を遂げた京セラ創業者の稲盛和夫(例によって、オール敬称略でご無礼します)について、書き連ねてみたい。

「経営の神様」にまつわるエピソードは、新聞や雑誌においてテンコモリで紹介されている。そこで、当コラムでは稲盛の「人間らしさ」について、記憶しているところを掘り起こしてみようと試みる次第。

何はさておき、「英雄色を好む」という一事が挙げられる。ちょっと昔の京都では、「祇園界隈で顔を見ない日がない」と称された財界人が3人いた。ワコールの創業者、塚本幸一、山内溥・任天堂社長、それに稲盛和夫である。

印象評としては(あくまで印象評です)、男女の仲について最も粋な方から並べると塚本、山内、稲盛の順になるのではないか。

塚本だけお目にかかったことがないが、人物は容易に想像がつく。女性の下着で財をなした快男児だ。男女の機微に疎いはずがない。さぞかしモテモテだったであろう。

山内には鮮烈な記憶があって、初対面の折に小腰をかがめて片手を斜め下に切るようにして名刺をいただいた。ちょうど博徒が仁義を切るような格好で、ぎょっとさせられたものだ。そういえば、風貌もどこか博徒然としていて、粋筋からの受けがよかったように思う。

対する稲盛は、無骨な薩摩隼人である。創業時の名前は京都セラミックで、任天堂、オムロン、ワコール、村田製作所、ローム、日本電産等と同じく「京都系」の筆頭格に数えられるが、ルーツは鹿児島だ(どうでもいいけど、稲森いずみ~稲盛ではない~も鹿児島出身である)。

おかねはフンダンに持っていたにせよ、極めつけの合理主義者でもあったから、女性人気はさほどでもなかったのではないか。

1997年に京都の円福寺で得度し、「大和」という法名も得ている。このとき、京都財界の知り合いからは「円福寺? ”艷福寺”の間違いやおへんか?」と茶化されたという話もあるから、それでも艶福家だったには違いない。

艶福家の多くは食通でもあり、稲盛もまた例外ではない。京都に「ゆたか」という高級ステーキハウスがあるが、東京進出時には京セラの八重洲ビルに入居していた。引っ張ってきたのはご本人であろう。

その昔、京都大学のタレント教授との週刊誌対談を企画して、場所も京都にしようとなった。すると、京セラ側から間髪を入れずに「会場は、ホテル日航(プリンセス京都)にしてもらえませんか?」と頼み込まれた。

対談当日にホテルを訪れたところ、フロントにデカデカと「敬天愛人」という額が飾ってある。言うまでもなく、西郷隆盛の座右の銘であり、薩摩隼人の稲盛が何より好む言葉でもある。

「まるで、稲盛さんのホテルみたいですね」と京セラの広報担当者に言ったら、「ええ、こないだウチ(京セラ)が買ったんです」と返ってきたから、自らの不明を恥じると同時に率直に言って呆れた。

だってね、スイートルームの請求書は「定価」で回ってくるわけですよ。対談場所(くどいようだが、京セラ傘下のホテルである)を勝手に決めて、割引も一切なし。そりゃないだろうと思う一方で、これぞ稲盛イズムかと感心もさせられたことだ。何事につけシビアだし、徹底しているのである。

こういうエピソードがあるから、女性に対してもシビアだったんだろうなと勝手に想像するわけだが、もしかするとプライベートでは違う一面もあったのかもしれない。それにしても景気よく札びらを切るような真似はしなかったと思う。

かねてより官僚の天下り批判の急先鋒として知られていた。そんな稲盛が、第二電電(現在のKDDI)の設立に踏み切ってから奥山雄材・元郵政省事務次官を社長として迎え入れた。通信会社の社長に監督官庁の元次官が就くのだから、ストレートど真ん中の「天下り」である。

「宗旨が変わりましたか?」と皮肉をこめて訊いたら、しれっとして「天下りってのは押し付けられるものであってね。こちらからお願いして来ていただくのは天下りじゃない」と言った。リアリストの面目躍如である。

*第二電電設立の経緯については、「稲盛和夫オフィシャルサイト」に詳しいので、是非併せてご一読いただきたい。

以前から、稲盛とよく似ているなぁ(そして、一度会ってみたいなぁ)と思っているのが、日本電産の永守重信。似ていると言っても、顔かたちではありません。こちらも頭から尻尾までリアリストである。

稲盛と違うのは、「任せる」ことができない点だろう。この数年間だけでも、三顧の礼で外部から招いたCEOをとっかえひっかえしている。

閑話休題。

京セラを立ち上げ、後には日本航空の再建にも関わる稲盛だが、何と言っても最大の功績は第二電電に尽きる。

通信自由化にあたっては、JRやトヨタ、東京電力といった財界エスタブリッシュメントが軒並み新規参入し、その中にあって京セラは「異端」だった。誰もが第二電電が勝者になれるとは考えてもいなかった。

今、KDDIの時価総額は約10兆円。トヨタ、ソニー、NTT、キーエンスに次いで堂々の5位である(ちなみに、設立母体である京セラの時価総額は約3兆円。KDDIの3分の1に満たない)。

携帯電話の爆発的な普及という追い風もあるが、これはやはり稲盛のベンチャー精神、イズムに拠るところが大きい。

アメリカのチャレンジャー号が爆発事故を起こした1986年、こんな言葉を残している。

「日本のサラリーマンもね、アメリカのように残業もしないで家に帰り、土日もちゃんと休むようじゃ、今にスペースシャトルが落っこちるような体たらくになりますよ」

その予言は、不幸にも的中している。世界を席巻した「メイド・イン・ジャパン」に、もはや昔日の面影はない。

単純かつ時代遅れの「モーレツ主義」とも受け取られかねない言葉だが、今の日本人、日本企業がもう一度考え直すべき、深い教訓がもしかするとそこには含まれているのではないだろうか。

筆の勢いに任せて、いろいろ脱線してしまったが、兎にも角にも不世出の経営者であった。改めて、合掌。