第102回 バブル危機を切り抜けインバウンド爆発を先取りした、元谷外志雄・アパグループ会長の今だから書ける爆笑話

親しくお付き合いさせていただいていた取材先の訃報に接すると、つい種々雑多な思い出が浮かんできて、何かを書きたくなってしまう。

さる2月11日に物故されたアパグループの創業者、元谷外志雄会長には、筆者と同じ石川県出身というつながりもあって、ずいぶんと興味深い話をうかがったものだ。

もっとも、元谷さんには最後の最後まで筆者がどこの誰だか認識していなかったフシもある。

聞きたいことがあると、携帯電話にかけてアポをいただく。いつも決まって快く会ってくれるのだが、「この人、もしかすると俺の名前すら憶えてないんじゃないかな?」と思うようなことも度々だった。

ある種の「大人」(たいじん)だったのだろう(笑)

アパグループと言えば、元谷さんよりも奥さんの芙美子さんのほうが有名かもしれない。つば広の帽子がトレードマークのアパホテル社長である。

2007年にアパホテルが構造計算書偽装事件に巻き込まれた時、芙美子社長がいつもかぶっている帽子を脱いで、記者会見で謝罪した(ちなみに、耐震偽装についてはアパ側が指示したわけではなく、設計事務所の独断だったとされる)。

後日、「普段から”社長”に帽子かぶらせといてよかったわ。脱いだら心から謝っているように見えるやろ?」と打ち明けたものだ。

芙美子社長のことは「社長」と呼んでいた。ある日のこと、取材中に携帯電話の呼び出し音が鳴った。「悪いけど、ちょっと出るよ」と言って、目の前で話し始めた。

何やら深刻な内容らしく、電話が終わってから「誰からですか?」と訊いたら「社長からだ」という。「どんなお話で?」と押したら、

「なんや知らん、社長がどっか海外に留学行く言うがよ。突然そんなこと言うても、あんた社長やろ? あんたが留学行ったら、誰が社長やるの?」ということだったらしい。しばらく呆然としていたので、思わず笑ってしまった。

元谷さんにはご馳走になりっぱなしだった。会食といえば東京タワー近くの「とうふ屋うかい」がお気に入りで、「最近は、ここしか使わないんだ」と言っていた。

一夜、とうふ屋うかいで呑んだ後、「俺のクルマで近くの駅まで送る」というので、お言葉に甘えることにした。

ロールスロイスである。窓には自動開閉のカーテンがついている。物珍しさもあって、開けたり閉めたりしていたら、「あんた何やっとんがよ! それ電動式じゃが。手で動かしたら壊れる!」とえらい剣幕で怒られた。

スイッチを探して動かしていたら、今度は「おおお!」と驚かれた。「あんたすごいのぅ。わし、このクルマに乗って長いけど、スイッチどこにあるか知らなんだわ」。どこまで本気で言ってるのか分からない(笑)。

地方にホテル展開するにあたって、自分でも立地を探して回ったのだという。ロールスロイスに乗って!(もちろん、運転手付きである)。

候補地を見分してクルマに戻ったら、ロールスロイスが燃えていたことがあった。泡を食っている運転手に「後始末は頼むよ」と言いつけて、本人はそのままハイヤーを呼んで飛行機で帰ってきてしまった。「ロールスロイス炎上」という地元新聞記事も出たと聞いて、死ぬほど笑った。

口数が多いほうではないが、とにかく座談が巧みなのである。しょっちゅう腹を抱えて笑わされたものだ。

石川県小松市出身なので、小松空港の航空自衛隊とも縁があった(ついでに言えば、石川県選出の森喜朗・元首相とも親交があった)。一度、戦闘機に乗せてもらったこともあるという。

「戦闘機は”G”(重力加速度)が凄いからな。絶対首を曲げるな、まっすぐにしとけ。って最初に注意される。首が曲がると、自力では元に戻らない。首が胸にめり込んだまま吐いたりすると、窒息して死ぬからな」

で、一緒に乗った関係者が「最初から最後まで首が胸にくっついたまま離れんがよ。それ見て笑った笑った」。聞いてるこっちも涙が出るほど笑った。

文章ではなかなかニュアンスが伝わらないが、元谷さんがこう話すと、なまじの落語なんぞは遠く及ばない。初代林家三平並みの爆笑力があった。

不動産ビジネスに関しては、ああ見えて(失礼!)日本有数の理論家でもあった。今でこそ、「収益還元法」は物件価格決定の「いろはのい」となっているが、バブル経済当時は全く知られていなかった。

裏を返せば、知られていなかったからこそバブルが大きく膨らんだとも言える。元谷さんは、知っていた。「外人に教わった」とか言っていたが、このあたりの事情は怪しい(笑)

怪しいけれど、アパグループが無傷でバブルを乗り切ったのは事実である。「収益還元法で計算したら、どう考えても相場が高すぎる。とりあえず、手持ちの不動産を売り払って現金に換えた」。ところに、バブルが崩壊した。

バブル崩壊後も、リーマンショック、コロナ禍と2度の修羅場に直面したが、「安くなれば買う」と公言し、逆境をチャンスに変えた。

収益還元法という「売買価格の物差し」に加えて、ホテル価格の「メインストーリー」を早くからつかみ、信じ、揺らがなかった。

すなわち、「インバウンド」である。「いずれ、外国人が日本観光に押し寄せる時代が必ず来る。ホテルは絶対に足りなくなる」と予測したのは、元谷さんが最初ではないだろうか。

2015年頃だったと記憶しているが、「あんた、都心のホテル宿泊価格は安い部屋でも10万円超えるよ。いずれ、日本人は泊まれなくなる日が来る」と言い切っていた。その「予言」は、すでに半ば当たっている。

リーマンショックでは、資金繰りに苦しむ不動産業者からホテル及び建設用地を買いまくった。アパのメインバンクである三井住友銀行も、窮地に陥った取引先の保有物件を片っ端からアパに持ち込んだという。

元谷さんに最後にお目にかかったのは、コロナ禍の真っ只中だった。緊急事態宣言でホテルが軒並み休業に追い込まれ、先行きに暗雲がたちこめていたが、まったく動じることがなかった。

「コロナが終わらんことはない。終われば、インバウンドは元に戻るどころか、さらに増える。これまで日本に来たことのないような国からもどんどん来る」と勝算を語っていた。

あの「元谷節」がもう聞けなくなるのかと思うと、正直言ってちょっとだけさみしい。また笑わせてほしかったなぁ、とも思う。

合掌。