『胡椒 暴虐の世界史』(マージョリー・シェファー著 栗原泉訳 白水社)

アジアの一部地域で使われていたスパイスである胡椒がヨーロッパに至り、世界中に広まった過程を追うーーそんな地味なテーマながら、翻訳書の発売後、多くの新聞書評で取り上げられるなど、高い評価を得た歴史ノンフィクションだ。

高評価の理由は、胡椒をめぐる歴史が、実はキリスト教とイスラム教との対立や世界貿易の覇権といった、今の世界情勢にも深く影響を与えており、現代世界を見るうえで示唆に富んでいるからだろう。

大航海時代の幕開けを担ったポルトガルが未知なる海へと船出したのは、イスラム教徒である宿敵ムーア人に対抗するため。伝説のキリスト教王プレスター・ジョンの国の発見し、同盟を締結してイスラム世界に対抗することと、「未開の人々」へのキリスト教の布教である。だが実際に人々を突き動かしたのは、何より「胡椒の独占」による富への欲求だった。

17世紀前後のヨーロッパでは「胡椒ブーム」が起きていた。熱帯でしか育たないという希少性もあり、富裕層が、胡椒を「豊かさの象徴」として争うように買い求めた。胡椒は金や銀とも交換できる資産となり、胡椒の売買を手中に収めれば、莫大な富を手にすることができたのである。

なお、よく「肉の腐敗臭をごまかすため、ヨーロッパでは胡椒が求められた」などとも言われるが、本書はあっさり否定している。胡椒を買うことができる富裕層はいつでも新鮮な肉を食べられたからだ。

当時、胡椒はアラブ人達の仲介なしに入手不能だった。もし胡椒をめぐる交易を彼らから奪えば、莫大な富を得られると同時に、イスラム教に対抗するという宗教的、政治的目的も満たすことができたのである。

まず、ポルトガル人のバスコ・ダ・ガマが喜望峰回りのインド航路を開き、それがヨーロッパがイスラム世界から胡椒交易を奪う礎となる。さらに、ポルトガルに取って代わったオランダとイギリスのふたつの東インド会社が200年に及ぶ苛烈な争いを繰り広げ、各地で残虐の限りを尽くしつつ胡椒交易を手中に収め、富はヨーロッパキリスト世界に集中していく。

本書は交易商人の日記や航海日誌を基に、アラブ人、中国人、ヨーロッパ人らが集まる東南アジアの国際色豊かなイスラム港湾都市の様子や、胡椒をめぐる争いを実に生き生きと描写する。そしてその攻防がやがて世界の地図と歴史、経済構造を変えていく様子を俯瞰して提示するのだ。

ひたすら胡椒について書いてあるのに、今に至る国際社会の原点に、宗教対立と富をめぐる「暴虐」があることを教えてくれる作品だ。人間の欲深さと暴虐ぶりに嘆息しつつ本を閉じた後、「『血で赤く染まっていない胡椒』は一粒とて手に入らない」というボルテールの言葉が強く心に残る。

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