『バリ山行』
最近、大型書店に入るとなんだか息苦しくなる。知識や情報が得られる本、スキルやテクニックを身につけるための本、教養を得られる本、そんな「役に立つ(らしい)本」のタイトルや装丁に圧倒されてしまうのだ。もちろんエンターテイメントとして楽しめる漫画や小説なども大量にあるが、それにもなんだか食傷気味だったりする。そのどちらでもない本(なおかつ新刊で単行本)ってないのかな、とうろうろし、最終的に手に取ったのが、『バリ山行』。いわゆる純文学だ。かつては文学の主流だったが、いまや純文学の新刊は絶滅危惧種。大きな賞でも受賞しなければ平積みされることはないだろう。この『バリ山行』は24年上半期の芥川賞を受賞したおかげで、派手な装丁とエモーショナルな惹句が記された数々のエンタメ小説やミステリー小説に混じって、クラスの目立たないおとなしい子、といった佇まいで、ひっそりと硬質な美しい光を放ちながら、新刊平積み台に紛れ込んでいた。
物語は、古くなったビルの補修などに携わる小さな会社の社員たちが社内行事として神戸市の六甲山に行くところから始まる。これに初参加し、登山にハマった主人公でバリ島最高峰のアグン山にでも登る話なのか、と想像しながら読み進めていたが、まったく違った。
現場仕事に熟達してはいるが付き合いが悪く社内で浮いている社員の妻鹿(めが)さんが、登山ルートではないところから突然六甲山の登山道に現れるところで、バリの本当に意味がわかり、「そう来たか!」と膝を打った。妻鹿(めが)さんは専ら低山のバリエーションルートを歩く熟達した登山者。「バリ」はバリエーションルートの略称だったのだ。山岳小説には、高く聳える山嶺や悪天候の雪山に挑む、エンタメ寄りの小説が多い。そちらはむしろ直木賞の対象だ。しかし、低山バリエーション山行はまさに純文学にぴったりなのだ。その親和性の高さに気づかされ、また著者の慧眼に感心し、思わず興奮してしまった。
低山バリエーションとは、登山道を使わず、木々に覆われた低山の道なき道を行く登山スタイル。落ち葉に埋まった山肌や泥の中を滑り落ちそうになりながら進み、木の根をつかんで汗だくになりながら急斜面を登る。露岩に張り付き、先の見えない藪の中を延々と歩く。沢沿いの除けば美しい景色にもあまり出会えず、アルプスような眺望も、珍しい高山植物もなく、枝や岩で傷だらけになり、虫や暑さにもやられる。遭難や滑落による死の危険も高い、地味でマニアックな登山スタイルだ。そして、無口で実直だが職人気質の変人で、出世する見込みもない妻鹿さんの性格や佇まいは、まさに低山バリエーションにぴったり。
低山バリエーションにハマっているリストラ予備軍のベテラン社員・妻鹿さんというキャラクターを生み出した時点で、もう本作は素晴らしすぎるのだが、会社内の人間模様の描き方も見事だ。小さくても自ら仕事を取ってきて請け負うスタイルから大手の下請けへと業態を変え、その中で右往左往する社員たちの姿を、簡潔に、シンプルに、しかも深いリアリティを持って描いている。作者自身が会社勤めゆえのリアリティとも言えるが、日々の生活の体験を写し取ったところで小説にはならない。本作は、しっかり小説の中に「世界」を立ち上がっているのだ。
それを成し遂げるのは並大抵のことではない。そして、交互に描かれる「地味で過酷な中小企業の日常」と「地味で過酷な低山バリ山行」のいずれをもひたすら面白く読ませる著者の筆の「牽引力」にも驚かされる。
作者は「オモロイ純文運動」を推進しているそうだ。確かにあちこちに細やかなクスグリも仕込まれ、とても「オモロイ」小説である。しかし同時に、本作は正統派の伝統的な純文学であり、作者はそれを描き切る実力派だ。大型書店で幅を利かす「役に立つ本」でも「エンタメ」でもない本作には、よけいなところがひとつもない、まさに言葉だけが作ることができる真の面白さがあった。
『バリ山行』著者 松永K三蔵 講談社