第74回 がっぷり四つで付き合った全電通・全逓、労働組合取材で思い出す「あれやこれや」

先月に続いて、「労働組合」に関する話題である。

労働組合と言えば、(個人的に)真っ先に思い浮かぶのが、旧国鉄からJRに至るまでの組織運動を牛耳った松崎明、日産自動車で「天皇」と呼ばれた塩路一郎の両氏だ。

ふたりともに面識はないが、ふたりともに労組を私物化し、経営のガンになったと悪名高い人物でもある。

このふたりが思い出されるあたりに、筆者個人の「労組嫌い」が反映されているような気もする(よろしければ、先月のコラムも併せてご一読を)。

実際に取材し、深く付き合ったのは、何と言ってもNTTの「全電通」と郵政事業の「全逓」だ。NTT分割問題、郵政民営化を長年にわたって追いかけていたため、労組は避けては通れない関門でもあった。

全電通は「NTT労組」、全逓は「JP労組」に改称されたが、どうもいまだにピンとこない。全電通は全電通なのであり、全逓は全逓なのである。

昔の名前に馴染みが深いと、しばしばこういう感覚に陥る。パナソニックは今でも「松下」だし、NEC(日本電気)は今でも「日電」なのである。わっかんねえだろうなぁ(苦笑)。

余談だが、「全国特定郵便局長会」は「全国郵便局長会」に名前が変わっても、「全特」の略称を引き続き使っている。妙に思われるかもしれないが、要するに全特は全特なのである。

話を元に戻そう。

社員数が多い組織は、総じて労働組合の力も強い。全電通、全逓、そして国労・動労(旧国鉄労組)しかり。これらは、すべて十万人単位の組合員を擁している。

労組の協力なくしては、経営が成り立たない。集票力があるから、政治への影響力も大きい。ゆえに、経営側でも一線級の人材を労組対策に起用せざるを得ない。

いきおい、労組対策が出世のキャリアパスともなる。NTT、JRについては、歴代社長のほとんどが「人事・労働担当」を経験している。労使関係の重要性を考えれば、当然の帰結だろう。

NTTで労組対策を担当するのは「労働部」(今でも、そういう名前なのかは知りません)で、労働部長ともなれば大した勢威があった。

ある労働部長は、初対面の時に薄紫色のワイシャツを着ていて、ずいぶんと派手なひとだなぁと思っていたら、しばらくして「お縄」になった。逮捕事由は確かとは覚えていないが、「収賄」ではなかったかと思う。

労組対策には、カネがかかる。労組幹部を飲ませ食わせするのは当たり前として、ここには書けないような「あれやこれや」もある。組合は組合で何万人何十万人の組合費が積み上がっているから、運動資金には事欠かない。

したがって、どうしたって、カネにまつわる腐敗も起こりやすい。冒頭に紹介した松崎、塩路両氏などは、その最たるものだ。

そういう意味で感心させられたのが、ある全逓の幹部である。この御仁との付き合いはかなり長く、後には委員長にまでなった。

年に何度か呑むのだが、先方行きつけの「ちゃんこ屋」でよくご馳走になったことを記憶している。ちゃんこ屋は、彼の自宅近所にあり、毎度ポケットマネーで支払っていた。勘定は安いが、うまくて気持ちのいい店だった。

労組幹部にしては、金銭について恬淡としており、公私のけじめがついている。郵政民営化に関する論点整理にあたっては、旧郵政省より彼に聞いたほうが早いくらいの戦略家でもあった。

ここからはここだけの話になる。

当時の郵政事業には大別して2つの労組~全逓と「全郵政」~があった。全逓はストも辞さない「抵抗労組」で鳴らしたが、全郵政はこれに対抗して設立された「御用組合」である。

組織力では全逓が圧倒的に強かったが、組合員数の推移では全逓減少・全郵政増加のトレンドが鮮明になっていた頃だ。

郵政民営化をにらんで「労組一本化」は避けられないと見た彼は、全逓優位にあるうちに先手を打って全郵政に合併を持ち掛けるのである。

凄かったのは、「合併後の新組合の名前は全郵政、委員長も全郵政から出して構わない」と全面的に譲ったことだ。

みずほ銀行が横浜銀行に合併を働きかけ、「社名は横浜銀行、頭取も横浜銀行で構わない」と言っているようなものである(たとえが適切ではないかもしれないが)。

名前もポストも全郵政に譲ったところで、全逓の組織力があれば必ず巻き返せるし、ひっくり返すことができる。そんな打算あればこその大技だが、なかなかどうして常人にできることではない(ちなみに、この時の合併工作は失敗に終わったが、全逓と全郵政は2007年に統合している)。

そんな「人物」も、その昔の労組にはいたのである。滅多にはお目にかかれなかったにせよ、確かにいた。

閑話休題。

直近の調査によれば、労働組合員数は1000万人の大台を割り込み、ピーク時に50%を超えていた組織率は16.5%に落ち込んでいるそうな。

「数こそ力」の労組にとって、その存在意義が問われて久しい。昔の労組は取材していて楽しかったが、今はそうでもないんだろうなぁ。と、つくづく思う今日この頃である。