第77回 夜の夜中に政財界人の自宅を襲う、「夜回り」取材の悪弊について考える

取材記者の仕事のひとつに、「夜回り」がある。夜も遅い時間に政財界のおえらいさんの自宅に押しかけ、コメントやネタを取るのだ。

週刊誌の場合は必要がなければ夜回りなどやらないが、新聞記者にとっては「御用聞き」みたいなもので、用事があってもなくても毎晩襲撃する。

何ヶ月も夜回りを受けているうちに、不思議なものでおえらいさんの側にも、記者に対する親しみめいたものが生まれてくる。ネタを取ることよりも、人間関係を築くことに重点が置かれていたのかもしれない。

初めての夜回り体験は、今でもよく憶えている。リクルート事件(1988年)の渦中にあった、池田友之・リクルートコスモス社長の自宅を訪ねたのだ。

逗子・葉山に近いところ、鎌倉のはずれだっただろうか。兎に角、遠いところだった。新聞やテレビの記者は専用車に乗ってくるからラクチンだが、しがない週刊誌記者はそういうわけにはいかない。

門前でうろうろしていると不審者扱いされかねない、人通り車通りの少ない場所だったので(そういう場所では、家人に警察を呼ばれることも珍しくない)、そのへんの物陰にひそんで、社長の帰りを待った。

最初はひとりだけだったのだが、いつの間にか、あちらにもひとり、こちらにもひとりと記者が増えてきた。

いっかな帰ってこないので業を煮やし、最後は夜回りの記者全員が門前に一列に並んで、「さっさと帰ってこいよ」とブウたれていた(笑)

新入社員でなければ、はなっから夜回りなどには行かなかっただろう。リクルート事件のような不祥事については、記者が待ち構えていること必定の自宅になど帰る道理がないからだ。

それでも、新聞やテレビは夜回りをかける。自社だけ行かずに、他社に抜かれること(「特オチ」という)を極度に恐れるためだ。

10人ほどいた記者もひとり帰りふたり帰りで、最後はNHKの記者とふたりっきりになってしまった。午前2時か3時くらいになっていたと思う。

ひとりっきりにしてしまうと、まかり間違えば「抜かれてしまう」と警戒したのだろう。「ウチのクルマで送りますから、もう帰りましょうよ」とNHKが言った。専用車がないこちらとしては渡りに舟である。

何度か夜回りをしていると、その家の夫婦関係が垣間見えることがままある。政財界人には、意外に「恐妻家」が多く、そういう御仁は家に入れてくれない。玄関で座って話し込んだり、わざわざ外に出てきたりする。

後輩の女性記者が某社長に夜回りをかけたところ、あいにくご本人は留守だったが、奥さんが八方手を尽くして居場所を探し出し、ピシャリと言いつけたのだという。「あなた、すぐ帰ってきなさい!」。

当時は女性記者の夜回りがまだ珍しく、奥さんが慌てたのだろう。「この夜中に女の子が家に来てるんですよ!」と言われ、かわいそうな社長は飛んで帰ってきた。

取材が終わったあと、「記者さんを駅までお連れしてあげなさいよ」と命ぜられた社長は、自らハンドルを握って最寄り駅まで送り届けたというから、「山の神」の力は偉大である。

世間的には強気で通っている政財界人ほど「恐妻家」が多いのは、ちょっと新鮮な発見だった。逆に物静かでおとなしそうに見える御仁が「亭主関白」だったりもする。夫婦の間柄ってのは、わからないもんですね。

その昔、ソニーの盛田昭夫会長をインタビューしていたとき、カメラマンが誤って三脚を倒し、応接テーブルに引っかき傷がついてしまった。ほとんど目立たない傷だったが、それを見た盛田さんは「ア―っ!」と悲痛な叫び声を上げた。

びっくりしたカメラマンが焦って「弁償します」と言ったときには、もう冷静を取り戻していて、「(高価なものだから)弁償できないと思います」とジョークを飛ばしていたけれど、あの金切り声は凄かった。

後で聞いたところによれば、盛田夫人お気に入りのテーブルだったそうな。なるほどねぇ、と妙に感心させられたものだ(笑)

閑話休題。

今どきは、「夜回りは受けない」と決めている政財界人も少なくない。「取材なら会社で受ける」というわけだ。

考えてみれば、夜の夜中によそさまの自宅に押しかけるなどは、非常識なことではある。昔の政治家、財界人は「それも仕事のうち」と割り切っていたのだろうが、自分ひとりでなく家族にも迷惑がかかる。

かと言って、夜回りがなくなったという話は聞かない。抜かれるのが怖いのなら、各社が協定を結んで廃止を申し合わせるというのも一案ではないか。

かつて、第一勧業銀行の総会屋事件で奥田正司会長に夜回りをかけたときのことだ。自宅の前で待っていると、どこの社かは知らないが、記者を乗せたクルマが何回もぐるぐると行き来するのである。

すぐ目の前を走るので、クルマの中では記者が口を開けて寝ているのが嫌でも目に入る。どこぞで一杯きこしめした帰りの、ついでだったのだろう。

奥田さんが帰ってきて、話を聞くことができた。口を開けて寝ていた記者は、ちょうど筆者と入れ替わりのタイミングで泡を喰ってやって来た。

「夜分に申し訳ありませんっ!私にもひと言お願いします!」という声が聞こえたが、奥田さんは断わっていたようだ。

悪いなとは思ったけれど、声を出さずに腹を抱えて笑った。そんな夜回りなら、やらないほうがいいに決まっている。