第104回 平成の反省

5月1日、平成から令和に代替わりをいたしました。
今回の年号変更はネガティブな要素は何もありませんので、祝賀ムードてんこ盛りでした。

5月1日に変わる直前にはカウントダウンをするテレビ局が多数あって、まるで新年を迎えるかのようでした。
実際、令和になった瞬間に無意識で「あけましておめでとうございます」と頭(こうべ)をたれて、そのまま財布からお年玉の用意までしてしまいました。
(ま、ほんの小さな嘘ですが、そんな家庭がきっと日本中にあったことでしょう)

この祝賀の高揚感は「令和」という新元号が発表された日から続いていましたので、令和元旦、じゃなくて令和初日にはピークに達しておりました。
日の丸の旗を振りながら、提灯を持って、紅白まんじゅう片手に振る舞い酒を呑んでいる人が街に溢れているはずです。
(冷静に考えると、旗と提灯とまんじゅうと酒をいっぺんに持つのは難しいですね・・・)

そんなお祭り騒ぎに乗り遅れてはいけないと、早速街に繰り出したのでした。
「早速」と言ったものの実際に出かけたのはお昼過ぎ。
デパートには新天皇の即位を祝う垂れ幕がありましたが、紅白まんじゅうも振る舞い酒もすでに提供は終わっているようで、わずかに店頭に福箱(?!)が残っているお店を見かける程度でした。
思っていたほどのお祭り騒ぎではないので、拍子抜け感を味わいながら、昨日までの平成を振り返ってみました。

思えば平成の始まりはバブル最盛期とは言え、昭和天皇の崩御のため静かな始まりでした。
しかし、静かな始まりの平成30年間は平坦ではありませんでした、公私にわたって。

平成元年、静寂を破って現れたのは「オバタリアン」で、さらにその翌年にテレビに現れたのはちびまる子ちゃんじゃあ~りませんか。
100歳の双子「きんさん・ぎんさん」がテレビCMに登場し、稼いだお金は「老後のために貯金する」というのを聞いて、僕も死にましぇ~んと誓った平成3,4年頃。

そして、知らぬ間にバブルがはじけていたことに皆が気づきだしたのもこの頃でした。
そんなとき、君のような優秀な人材はどんな状況でも引く手数多(あまた)だよと上司に言われて、その気になっていたら、ただの「ほめ殺し」で「すったもんだがありました」。そして、私はフリーとなったのでした。

フリーとなって経済的に困窮していた時、友人たちが憐れみの目で見るので、「同情するならカネをくれ」と言って友人を失ったのは平成6年頃でした。
結局、一匹狼(というほどのものではないですが)となって、誰とも群れず、与することなく、「無党派」と呼ばれたのは平成7年のこと。

その後、逆転で「メークミラクル」を起こして、「自分で自分をほめたい」と自惚れたのも束の間、すぐさま楽園を追放され、「失楽園」感を味わった平成9年。
またまた自分を見失い、人から「変人」と言われたり、「軍人」と言われたりしたけれど、結局のところ「凡人」だっちゅーの(by パイレーツ)。

平成11年、原点に帰って、「雑草魂」を胸に「リベンジ」を誓ったのでした。
そして翌年、「おっはー、IT革命の幕開けだよ!」という声に乗せられて、お金第一と考え、「最高で金(かね)、最低でも金(かね)」をスローガンに「聖域なき改革」を断行するという「骨太の方針」を打ち出したのでした。

平成14年頃、多摩川に現れた「タマちゃん」は「毒まんじゅう」を食べたわけではないのに、いなくなったのはなんでだろう~。
海の中で昆布からダシが出ないのはなんでだろ~。
オリンピックで「チョー気持ちいい」と言っていた人は、それが「想定外」だったからなのか「想定内」だったからなのか、そんなことを考えていた平成16、17年頃のこと。

「イナバウアー」の「品格」について、「どげんかせんといかん」という風潮になりつつあったのは平成18年から19年頃のことだけど、そもそもそんな風潮はなかったのでは?
でも、王子の称号がハンカチからハニカミへとバトンを渡されたのはこの頃でした。

その翌年には「アラフォー」の人が「グ~!グ~!」言っているうちに「政権交代」が起こり、大きな災害も起こり、復興へみんなの気持ちが一つになったのですが、私の女房は「ゲゲゲの」とつぶやいて、家をプイと出たきり、ハイそれまでよ。
女房の「スマホ」に電話を掛けてみても、返事はナデシコ、ジャパンのアジャパーで、ワイルドだろぉ(?? なんだかわからないまま3年経過)。

平成25年、山あり谷ありの失われたウン十年を取り戻すのは「今でしょ!」と一念発起してみたものの、打つ手は外れ、しかも「倍返し」されて、「じぇじぇじぇ」の結果に。。。
もう、「ダメよ~ダメダメ」× 3。まさにダメの「トリプルスリー」。
ここから抜け出すには神頼みのみ。神って「爆買い」している「君の名は?」と尋ねた平成28年。
他人のSNSに「いいね」の「忖度」をし、「インスタ映えってる」の「忖度」をした平成29年。
結局、人の顔色を伺いながら平成を過ごしてきたのか?と問われたら、「そだねー」と言うしかなかった平成30年。
こうしてみると、平成30年間はあっという間です。まさに平成ジャンプです。
(巷では昭和に生まれて平成30年間を独身で過ごしたことを「平成ジャンプ」というらしいですが・・・)

令和になって早々、中味のない文章を書き連ねてしまいました。

万葉集に詠まれた太宰府の梅花の宴から1300年近く経って、脚光を浴びた令和。

北の大地は今まさに、初春というより初夏の令月、気淑く風和ぐ中、桜の季節となりました。
桜の花を眺めつつ、万葉集の梅花の宴から170年後に太宰府に左遷された菅原道真に思いを馳せ、ついでに集団左遷された福山雅治も九州出身だったなと思いを馳せる。

「東風(こち)吹かば 匂ひをこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ」

「な~そ」の構文は入試に出たなぁと思いを馳せつつ・・・(なんのこっちゃ)

※意図せず悪気なく「ユーキャン新語・流行語大賞」を参考にさせていただきました。