先日、歌舞伎町のバーで、マスターと長渕剛について語った。と書いてみて、自分の書いたこの書き出しのありがちさに少し笑った。しかし、この笑いはネガティブな失笑ではなく、心地よいため息だった。

そう、男は、長渕について一家言を持ち、テレずに語り合わなければならない。

デビュー当時の長渕は、ガリガリに痩せていて、ひ弱な印象を受ける青年だった。それが、80年代末ごろから、過剰にストイックなマッチョさを纏い始め、世間に揶揄された。揶揄されたが、信者の強度は変わらなかった。

『わがまま気まま流れるまま』は、1983年、マッチョ変換する前だ。最近改めて聴いてみて、一つのことに気付いた。

マッチョ変換の前後で、本質的に長渕は変わっていない。

吉田拓郎もボブディランも、長いキャリアの中で、少しづつ、変遷を重ねている。しかし、長渕の言葉の本質は変わっていない。長渕は圧倒的に優しい。自分にも、他人にも。徹頭徹尾率直に、時には激しい言葉を使って、優しくあり続けている。

またあのバーに行く理由が出来てしまった。

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