第14回 日本企業にはびこる「人事考課」の愚について物申す
前回は「人事考課」について、少しばかり私見を言わせていただいた。いささか思うところがあるので、続きを書くことにする。
今時、人事考課について「目標管理制度」を採り入れていない会社は稀だろう。大企業はもちろん、中小企業だって「実績主義」「成果主義」の世の中である。
筆者がかつて勤めていた出版社においても、2000年代に入って目標管理制度が導入された。全社横断の制度導入準備プロジェクトが立ち上がり、どういうわけだかそのメンバーに選ばれ、意見を述べることになった。
「くだらねぇ」。
正直言って、そういう実感しか持てなかったのだが、まさか「くだらねぇ」とは吐き捨てられない。いや、言ってもよかったのだが、言うだけ無駄だったろう。
「制度設計導入ありき」のプロジェクトだったからだ。
それでも一応、言ったけどね。「こんな制度に意味はないし、やれば逆効果にしかなりませんよ」と。案の定、誰も聞く耳を持たなかったが。
順を追って説明すると、こういうことである。当時、大企業の多くはすでに目標管理制度を導入しており、その運用にあたって大混乱を招いていた。
目標管理とは、まず個人が自らの業績目標を定め、その達成状況について上司と話し合い、成果を測定するものだ。
ちょっと考えればわかることだが、これが実に難しい。たとえば、仕事ができるAさん、できないBさんがいるとしますよね。
Aさんの業績目標はBさんよりかなり高く設定される。仕事ができるのだから当然だ。で、Aさんは惜しくも目標達成できず、Bさんは達成した。という場合、Aさんのほうが仕事はできるのに、評価はBさんより下回る。という事態が実際に起こりうる。
こういう矛盾が制度運用の過程で次々と噴き出し、それにいちいちパッチワークを当てるようにして改善を積み重ねる。目標管理制度はこんがらがったスパゲッティのように複雑怪奇なものとなり、にもかかわらず正確な「成果」は反映されない。
人事評価に費やす手間、時間が、上司・部下ともに年年歳歳重くなる。本音では、「こんなもの、もうやめたい」と思っていても、誰も言い出せない。何のための制度なのか、見失なわれてしまうのだ。
という体たらくを目の当たりにしていたので、そもそもの制度導入に反対した次第なのである。
中堅出版社という環境にあって、筆者は究極的には人事評価などは要らない。という意見を持っている。乱暴な言い方だが、理由について詳しく解説すると、連載の2回や3回では足りないので、思い切って省略する。
しかし、どうしても成果主義を採り入れたいということであれば、それはそれでわからないでもない。なので、今で言う「360度評価」で十分だという意見も付け加えておいた。
上司、同僚、部下から実績を評価してもらうのである。評価のモノサシは「◯×△」で事足りよう。それ以上に複雑な基準を採用したところで、手続きが面倒になるだけだし、◯×△だけで案外正確なところは反映されるものだ。
ただし、大企業についてはこのやり方ではうまくワークしない。社員の顔と名前が完全に一致するような規模の会社?せいぜい全社員500人といったところか?に限って有効な考え方だろう、と思う。
しかし、古巣の出版社にあっては、そんな意見も黙殺され、思ったとおり目標管理制度は迷走に次ぐ迷走を続け、週刊誌の締切でクソ忙しい最中に上司・部下が人事評価をめぐって消耗する羽目に陥った。
筆者自身、目標管理制度については「犠牲者」のひとりだと思っている。
なにしろ、経費は使いまくる、締切には遅れる、で素行として褒められるところは何ひとつとしてないのだ。
で、上司からは「弱点」であるところの経費、締切について厳しい目標設定を強いられ、それでも点取り虫になる気なんぞはこれっぽっちもないから、毎度のように目標大幅未達、人事評価は最低という結果になる。
しかしですね、自己弁護のように響くかもしれないけれど、「経費を使いまくる」「締切に遅れる」って、そんなこと読者に関係ありますか?
読者は役に立つ記事、タイムリーなニュースを、週刊誌に対して求めているのである。そういう記事をどれだけアウトプットできたか。という一点が、本来は成果主義において問われるべきなのであり、経費やら締切やらは何の関係もないものだ。
「本来、問われるべきもの」。とは何なのか。
ここがわかっていないと、実績主義・成果主義は「百害あって一利なし」なのである。この点については、企業規模の大小は関係ない。大企業も中小企業も同じである。
筆者に関して言えば、「役に立つ記事、タイムリーなニュースを読者に提供する」という点では、常に編集部のトップレベルにあったいう自負が今でもある。
ならば、人事評価もトップであるべきなのだ。経費を使いまくる、締切に間に合わないといった読者に関係ない評価項目については「賞罰」で対応すればよろしい。
つまり、人事評価は最優等なのでボーナスは何十万円も同僚より多いが、経費を使いまくったかどにより何十万円の減給を喰らう。といった在り方である。こういう立て付けなら当時でも腹に落ちただろう、と思う。
編集部には40人くらいの記者がいて、5~6人の副編集長がそれぞれの部下を評価し、編集長が取りまとめることになっていた。
が、副編集長の評価・面談スキルのレベルもまちまちなら、先述した「合成の誤謬」といった問題も必ず生じる。
どうするかというと、いったん副編集長レベルで評価し、それを編集長・副編集長全員で再評価するという「二度手間」をかけるのである。
記者全員の名札をつくって、それを皆で上に下にと動かしながら、これなら矛盾はないだろうという線にまで「誘導」していくわけだ。そこにはおびただしい恣意が働き、公平・公正とは言えない結果も生じる。
やっていて「アホか、俺らは」とよく思った。
「くっだらねえ」
ほんと、「くだらねぇ」どころの騒ぎじゃない。思わず「っ」が余計に入るほどのくだらなさである。でも、まだ、相も変わらずやってんだろうなぁ。
日本中、世界中の企業で、どれだけ人事考課に関する手間、時間、コストがかけられ、どれだけのひとびとが消耗しているのか。考えただけで空恐ろしくなる。
だから、人事考課なんぞは、AIに丸投げすればいい。と真剣に思うのだ。人間がやるから間違いが生じるし、公平感・公正感もなくなる。人工知能は好き嫌いで評価しない(そのうち、するのかもしれないが)。
次回は、もっと楽しい話をしよう。(了)