第37回 「ビッグサイトへの長~い道のり」
気持ちのよい秋晴れの10月11日のこと。
1通のメールが届いた。
表題【東京マラソン2012抽選結果のお知らせ】
また今年も落選かと、軽い気持ちでクリックすると、以下のメールが・・・
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◇◇東京マラソン2012平成24年2月26日(日)開催◇◇
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《抽選結果(当選)のお知らせ》
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タコサンギ様
受付番号:○×○△×
このたびは東京マラソン2012にエントリーいただき、誠にありがとうございま
した。
定員を超えるお申込みがあり、厳正なる抽選を行いましたところ、当選となり
ました。
つきましては、云々かんぬん。。。
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えっ!!!なんと当選だ・・・orz
正直なところ、目の前が真っ暗、頭が真っ白になった(実際、白髪だが)。
真剣に当選を狙っていたアスリートのイリイ青沼氏が落選し、ほんの運試し・ちょっとしたお付き合いという中途半端な気持ちで申込をした明日ニートの自分が当選してしまうとは。
過去30年の間に5kmのレースに2度参加した経験があるだけで、フルマラソンを走る自信など全く持ち合わせていないのに。
マラソンの神様はなんとイタズラ好きなのか?42.195kmを走れるわけがない。
5kmを越えた瞬間、私にとっての未知の世界が陥穽となって大きな口を開けて待っているに違いない。
もはや生命の保証もない(というか、多少でも常識を持ち合わせていたなら申込をしないというのが、オトナの対応でありましょう)。
ああ、走れるわけなどない。どうすべきなのか?
我を忘れて取り乱し、頭を抱え、髪の毛をかきむしり、毛蟹の足をむしり取り、牡蠣をレモン塩でむさぼって、白ワインで流し込む。そして、しばし呆然とくつろぐ。。。
あれ?そうか、落ち着いてよく考えると、この段階で参加が決まったわけではない。
参加申込書を書いて、参加料を振り込んで、ようやく正式参加者として石原慎太郎都知事から認められるのだった。
あせることはない。参加料を振り込まなければいいのだ。助かった・・・。
なんだかホッとして、twitterに一言だけつぶやいてみる、「当選した・・・」(「でも、出ないよ」という部分は飲み込んで)。
自分の中でモヤモヤしていたものをインターネットという広い海原に吐き出して、スッキリした。これでおしまい。
その夜は安らかな気持ちでゆっくり眠りにつくことができた。
ところが、その翌日のこと。
twitterを見たと思われる人からの、「おめでとう」という返信、「がんばってください」「応援に行きます」等の励ましのメール、「フルマラソンを走るためにはマラソン用の靴を新調したほうがいい」というアドバイス、「まさか出ないつもりか?もし出ないなら・・」という脅迫電話、「参加料が払えるのなら、早く借金返せ」という貼り紙、スタジアムを埋め尽くすブーイングなどなど、ちょっとした出来心でつぶやいたばかりに、こんな大反響(?)が。
しまった。。。つぶやかなければよかったのだ。当選倍率10倍の難関を乗り越えたというちっぽけな自慢心が身を滅ぼすことになろうとは・・・。
考えてみるに、私の当選の陰には9人の落選者がいて、ほかの当選者の陰にもやはり9人の落選者がいて、その集合体としての膨大な落選者は浮かばれないまま、来年の抽選まで怨念の青い炎を燃やし続けるにちがいなく、ましてや当選したのに参加をしないなどという事実を知られた日には、落選者の怨念に取り憑かれ、無間地獄へ引きずり込まれるに違いない。
あな恐ろしや・・・
走るも地獄、走らないも地獄(当選したのにこんな罰当たりなことを書いていると新たな地獄を見るかもしれないが)。。。
まずは落ち着こう。
さわやかな秋である。
しばし東京マラソンを離れて、心落ち着けて読書をしよう。
毎年ノーベル文学賞の最右翼と言われ、世界的な評価も高い村上春樹氏の本を読んでみる。
正直なところ、氏の小説のいい読者ではない。小説よりもエッセイが好きなのだ。
「走ることについて語るとき、僕の語ること」(文春文庫)を開いてみる。
(ヘンな題名だけど、これは氏が翻訳したレイモンド・カーヴァーの「愛について語るときに我々の語ること」の本歌取りとのこと)
年に1度はフルマラソンを走ることが人生のリズムとなっている氏が、2005年のニューヨーク・シティマラソンに参加するためにホノルルや東京、そしてボストンでトレーニングをした数ヶ月の記録と過去のウルトラマラソン(フルマラソンの2倍以上走るようなタフなマラソン)の体験やトライアスロンについて綴りつつ、何故走るようになったのか、走ることの意味は、走ることと小説を書くことの関係は、等々を思いつくまま(に見せかけているが周到な構成をしていたりする)自然体で語っていく。
その中の一節
「与えられた個々人の限界の中で、少しでも有効に自分を燃焼させていくこと、それがランニングというものの本質だし、それはまた生きることの(そして僕にとってはまた書くことの)メタファーでもあるのだ。」
継続的に長距離を走ることにより、肉体的にも精神的にも筋力を養っていく。
そしてひとたび目標を決めたなら、走り続け、どんなに苦しくても歩かない。。
マラソンから離れようとして読書を始めたのに、こんな本を選んだばっかりに、マラソンしてもいいかも、という気持ちになってきた。
酒の中に限界を求め、無意味に自分を燃焼させていくのも、生きることの本質(?)ではあるが、たまには陽光をいっぱい浴びながら健康的に肉体を燃焼させるのもいいかもしれない。限界はすぐに訪れそうだが・・・。
10月下旬、締切ギリギリに参加申込と参加料の振込をして、石原都知事の「参加してよろしい」というお墨付きをもらったので、フルマラソンに挑戦するための準備を始めることにした。
しかし、正直なところ、なにをどうしていいのやら。
まず、自宅から駅までの1.7kmを早足で駆けてみる。軽快にスタートしたが、すぐに息が上がり、胸の辺りが苦しくなった。振り返ると自宅の玄関が見える。
30mも走っていない。
気を取り直して、急ぎ足で歩いてみる。
端から見た人は、遅刻寸前で慌ててアゴだけ突き出して足がついてこない中年のオヤジのようにしか見えなかったに違いない。(実際、乗るべき電車に遅れそうだったのだ。トレーニングというよりも通勤というのが正解)
とりあえず、1.7kmを14分で駆け抜けた(つもり)。時速換算で7.28km/hだ。
このペースで行けば、42.195kmは5時間50分で走れる。
東京マラソンの制限時間7時間をクリアできそうだ!!
そんなつかの間の喜びは、翌日からまる1週間治らない太ももとふくらはぎの筋肉痛で打ち砕かれるのだが。
そんな私を見かねて、知人のMが、まずはランニング用シューズを作るところからスタートだ、とアドバイスをしてくれた。
見かけによらず親切なMに連れられて、アス○ートクラブというランナー専門のショップの門を叩いた。
ベテランの女性店員は、私の顔を見るなり、「歩いてみて」という。
緊張のあまり、右手と右足を同時に出しながら10歩ほど歩いたあとで、彼女は言った。
「扁平足の人はいないのよ。大会前に一度30km走るとフルマラソンを走れるわ」
何故、私が人知れず50年間も扁平足で悩んでいたことがわかったのか?
それはさておき、ありがたいご神託を告げたあと、彼女は早速私の足にあったシューズを選んでくれた。
私専用の中敷きもオーダーメードしてくれるという。
なんだかフルマラソンを走れるような気がしてきた・・・。何の根拠もないけれど。
中敷きができるまで、1週間。
その間にまた本を読み始める。
「BORN TO RUN走るために生まれた」(クリストファー・マクドゥーガル著日本放送出版協会)
著者の切実だが素朴な問い「何故走ると足が痛むのか?」。
この問いの答えを見つけるためにメキシコの秘境に住む世界最強の長距離ランナーのタラウマラ族を探し出すところから物語は始まる。
長距離走の歴史を辿りながら、現代のウルトラランナーの戦歴を語っていくこの本の面白さ。
ページをめくる手が止まらない。
ついにタラウマラ族ランナーと欧米のウルトラランナーがメキシコの秘境を舞台にウルトラトレイルレースで対決していく。。。。らしい。。。(実は今、読み途中なのです。このコラムの締切までに読了を目指していたのですが、締切もすでに過ぎていて・・・・・・東京マラソンなら失格なのです。。。)
来年2月26日の東京マラソンまであと103日と迫った11月15日、ついに中敷き完成。
いよいよ明日からトレーニング開始だ!
なんのメニューも作ってないけど、とりあえずニューシューズで走ってみよう。
そして11月16日、さわやかに目覚めると外は一面の銀世界。積雪15cm。
この時期の北海道はランニングには向かないのだった。。。
どうする?
どうなる東京マラソン。。。
次回に続く。。。
(おまけ)
東京マラソン関連出費メモ
参加料10,500円
シューズ+中敷き17,671円
合計28,171円
「ビッグサイトへの長~い道のり その2」
「ビッグサイトへの長~い道のり その3」
「ビッグサイトへの長~い道のり その4」
「ビッグサイトへの長~い道のり 完結編」