2018年10月5日 / 最終更新日時 : 2018年11月2日 編集長 経済誌記者のここだけ話 第12回 新入社員の「明日なき暴走」 今、読んでいる『職人ことばの「技と粋」』という本が滅法面白い。著者の小関智弘さんは1933年生まれ。ネットで検索した限りでは、85歳にしてご健在の様子だ。 小関さんは高校を卒業してから50年間、旋盤工として働いてきた。そ […]
2018年9月4日 / 最終更新日時 : 2018年9月4日 編集長 経済誌記者のここだけ話 第11回 週刊誌記者は「長生き」できない? 先月はメルマガ休載のお許しを頂戴し、地中海1周クルーズと洒落込んだ。猛暑の東京を逃れて、気ままな一人旅である。空は抜けるように高く、海はどこまでも青い。 というのは大嘘で、これまでの人生にないトラブルに追われまくったおか […]
2018年7月3日 / 最終更新日時 : 2018年7月3日 編集長 経済誌記者のここだけ話 第10回 年間の取材費1000万円、呑ませ喰わせの記者稼業 「仕事相手を気軽に食事、酒に誘うのは、非常に失礼なことだ。貴重な時間を奪っているに等しいのだから」 マッキンゼー元東京支社長の大前研一さんに、こんなことを言われた記憶がある。気軽に食事、酒にお誘いしてしまう筆者としては、 […]
2018年6月4日 / 最終更新日時 : 2018年6月4日 編集長 経済誌記者のここだけ話 第9回 新聞記者は”猟師”、雑誌記者は”漁師” 「新聞記者と雑誌記者(とりわけ週刊誌)の仕事って、どう違うの?」などと聞かれることがあるので、そんなときにはこんなふうに答えるようにしている。 「さしづめ新聞記者は”猟師”、雑誌記者は”漁師”ですかね」 新聞記者はニュー […]
2018年5月8日 / 最終更新日時 : 2018年5月8日 編集長 経済誌記者のここだけ話 第8回 就職活動今昔物語 ”就活生の5人に1人?「早くも内定」の謎” 4月24日付け日本経済新聞のこんなヘッドラインが目に留まった。 そういうわけで、己の過去を振り返りつつ、昨今の就活事情を語ってみたいと思う。 悪戦苦闘の就職活動の末に、初めての […]
2018年4月2日 / 最終更新日時 : 2018年4月2日 編集長 経済誌記者のここだけ話 第7回 「締切」雑感 これまで隔月だったものが、今回から毎月連載になりますよ。 と編集者様より連絡があった。それはそれは。よろしゅうございます。毎月連載であれば、遠慮会釈なく道草を喰えるというもの。そういうわけで、今回も脱線します。読者の皆様 […]
2018年2月19日 / 最終更新日時 : 2018年2月19日 編集長 経済誌記者のここだけ話 第6回「やーだよ」の一言で消えた救済スキーム 与野党すったもんだ「長銀国会」の熱い夏 前回は恩人の思い出を記して脱線してしまったので、話を元に戻そう。 簡単にあらすじをおさらいしておくと、1997年にぼくが再び金融担当に復帰するやいなや、三洋証券が倒産し、同じ月に北海道拓殖銀行、山一證券が相次いで破綻する […]
2017年12月20日 / 最終更新日時 : 2017年12月20日 編集長 経済誌記者のここだけ話 第5回 ゴーストライターから始まったお付き合い。四半世紀近い記者生活の「恩人」を偲んで 北海道拓殖銀行、山一証券の破綻で火がついた金融危機の続きを書き連ねるつもりでいたのだけれど、「山一」に関しては忘れちゃいけないことがある。なので、今回はゆるりと道草を喰います。 「ちょっとお願いがあるんだけど、いいかな? […]
2017年10月19日 / 最終更新日時 : 2017年10月19日 編集長 経済誌記者のここだけ話 第4回 三洋、拓銀、山一が週替わりで潰れた1997年11月 休日丸ごと返上、東京・札幌行ったり来たりの悪夢 1997年、再び金融担当に配置換えとなった。挨拶回りをしている最中の11月3日、三洋証券が倒産する。バブル絶頂期に世界最大級のトレーディングルームを建設し、証券業界の風雲児と呼ばれた土屋陽一社長には何度もインタビューした […]
2017年8月17日 / 最終更新日時 : 2017年8月17日 編集長 経済誌記者のここだけ話 第3回 新婚旅行で誌面に大穴を開け、仲人に「損失補てん」してもらった話 2週間の休暇をとって新婚旅行に出かけた。それが1991年6月でなければ、もういつのことかも忘れてしまっていただろう。スペインからイタリアへ。旅路の最後はローマだった。日本語版の日本経済新聞がニューススタンドにあって、第一 […]