2020年12月2日 / 最終更新日時 : 2020年12月2日 編集長 経済誌記者のここだけ話 第38回 どうしても会いたかった本田宗一郎と色川武大 週刊誌記者時代に、数万人単位の方々と名刺交換をさせていただいた。「インタビューという仕事」についても、すでにこのコラムで紹介しているが、おそらく記事を書いただけでも500人くらいはいるだろう。 話を聞いていて面白いひとは […]
2020年11月4日 / 最終更新日時 : 2020年11月4日 編集長 経済誌記者のここだけ話 第37回 「取り屋」と「銀座のクラブ」の思い出話 その昔、「取り屋」という言葉があった。この話をすると、よく「鳥屋」に間違えられたものだが、「取り屋」です。Google検索をかけても、まともにヒットしないので、今はもう死語になっているのだろう。 ひと言で説明すると、「ブ […]
2020年10月2日 / 最終更新日時 : 2020年10月2日 編集長 経済誌記者のここだけ話 第36回 住友銀行の「ラストバンカー」、西川善文さんを悼む 西川善文さんが去る9月11日にお亡くなりになった。享年82歳。50代という若さで住友銀行頭取に就任し、さくら銀行との合併を決断。三井住友銀行の初代頭取となり、退いて後は日本郵政社長も務めた人物である。 今回は、その西川さ […]
2020年9月7日 / 最終更新日時 : 2020年9月7日 編集長 経済誌記者のここだけ話 第35回 安倍総理と「キャビア」、永田町と「すっぽん」 安倍晋三総理が辞任を表明した。記者会見を開いたのが、8月28日。そのちょうど1週間前から辞任観測が浮上しており、ひそかに取材に追われていたものである。 安倍総理といえば、忘れられないエピソードがひとつある。 ロシアにおい […]
2020年7月31日 / 最終更新日時 : 2020年7月31日 編集長 経済誌記者のここだけ話 第34回 パソコン・インターネット・携帯電話〜「新・三種の神器」考 大学を卒業して、出版社に入社した1987年当時は、携帯電話もパソコンもなかった。 厳密に言えば、あるにはあったのだが、使っているのはごくごく限られた人たちでしかなかった。携帯電話なんて、「携帯」できないくらい大きかったし […]
2020年7月6日 / 最終更新日時 : 2020年7月6日 編集長 経済誌記者のここだけ話 第33回 アフターコロナの「会食」をつらつら考えてみる コロナ騒動の前後で、最も変わったことといえば、私的には「会食」がなくなったことだろう。言うまでもないことだが、「減った」のではない。「なくなった」のである。 おかげで、ずいぶん生活が楽になった。大企業のトップ、役員クラス […]
2020年6月2日 / 最終更新日時 : 2020年6月2日 編集長 経済誌記者のここだけ話 第32回 徹夜明けの「サウナ」と「鉄人28号」の記憶 首都圏でも緊急事態宣言が解除された。されてもされなくても、日常の暮らしぶりにさほど変わりもないのだが、落語の寄席と呑み屋が開けていないことだけは、どうにかならないものかと思いましたね。 落語も聴けない、外ではろくに酒も呑 […]
2020年4月28日 / 最終更新日時 : 2020年4月28日 編集長 経済誌記者のここだけ話 第31回 ネクタイとICレコーダー、それにZOOM 「十年一昔」というくらいで、週刊誌の記者をやめて10年もたつと、「世の中変わったなぁ」と思うことがいくつもある。 たとえば、「ネクタイ」だ。あたしが現役だったころは、率先して「クールビズ」(2005年から始まった)を推進 […]
2020年4月2日 / 最終更新日時 : 2020年4月2日 編集長 経済誌記者のここだけ話 第30回 バブルの時代の「観桜会」、そして「記者懇親会」 このメルマガのクライアントや読者との兼ね合いで、できるだけ「特定の社名」を出して欲しくないのだそうである。 先月も編集段階で「社名」を削られたため、こちらとしては予め確認をしておかなければならないな。ということで、「この […]
2020年3月3日 / 最終更新日時 : 2020年3月3日 編集長 経済誌記者のここだけ話 第29回 NTT分割問題を追いかけた、「あの頃」 経済誌記者としては、銀行・証券等の金融担当が長かったんだけれど、エレクトロニクス・通信も7年くらいやりました。1991年~98年のことです。 これにはワケがあって、当時は「NTT分割」が社会問題になっていたんですね。巨大 […]